尾張一宮七夕まつり 亜紀子
猛暑の続く中、七月二十七日、名古屋橡会の吟行で尾張一宮の七夕まつり見物。三ヶ月に一度の吟行句会に名古屋連の全員参加は様々の事情で難しく、大抵六、七名の固定メンバーなのだが今回は急遽直前に他県の方々に声かけして、群馬の原田幹事長、神戸から鳥越編集長の他、鎌倉の小野さん、都内より佐野さんが参加。お初にお目にかかるメンバーもいて待ち合わせのJR尾張一宮駅改札口に心踊らせつつ集合。顔を合わせれば誌上で名を知る同士すぐさま和気藹々、句友というのは有難い。
一宮は平安の昔より織物の町。織物を加護する神でもある尾張国一宮真清田神社の鳥居前町として栄え、明治以降はことにウールの生産地として繁盛。現在もそのブランドは維持されているようだが、国内繊維業は軒並み海外勢に押される昨今、かつてのような隆盛はないようだ。七夕伝説の織姫にちなみ、織物感謝祭としての七夕まつりは昭和三十一年に始まったとのこと。今回不参加の石橋さんは現役時代は全国津々浦々を渡り歩いた人で仙台の七夕祭りも知っているが、一宮のそれも匹敵しますよと伺った。名古屋駅から電車で十分ほどの距離、今日まで出掛けなかったのは不覚。
午前十時、すでに暑い。四日間の祭の初日の午前中の人出はまだ少ない。メインの飾りつけは駅から程ない商店街のアーケード。全長三メートルくらいの色とりどりの吹き流しがびっしりと吊られ、時折風に吹かれる。一宮は西を岐阜県に接しており伊吹颪の地である。さらさらとなびく様がいかにも七夕らしく涼しい。浴衣姿の子供達がちらほらと歩いて行くのが雰囲気を伝える。どこかの新聞社の報道部員が二人の浴衣少女をモデルにアーケードの真中で写真撮影。我々はアーケード内を行きつ戻りつして句材を拾う。そちらあちらとシャッターの閉まっているのは時間帯ゆえか、所謂シヤッター街現象なのか。
アーケードを北へ抜けると広場で屋台が開店準備中、屋外用の大きな扇風機を回している。そして真清田神社に。参道脇には大きな七夕竹が立並ぶ。さすが一宮、社殿は大楠を擁して風格がある。昭和二十年七月末の激しい空襲で街は壊滅状態となり神社も消失、現在の社は戦後の再建であるが、その造形を評価されて国の登録有形文化財となっているそうだ。その御社の正面軒にもアーケード街と同様のカラフルな吹流しが地に触れんばかりに吊られているのが新鮮な景色。
境内を思い思いに巡り、そろそろお腹が空いてきて何となく集まった数名でお店を探すことに。一宮は喫茶店のモーニングサービス発祥の地を謳っている。県外からの参加者には是非味わっていただきたいと喫茶店を探す。駅から少し離れているからだろうか、意外に見つからず、やっと見つけた一軒は如何にも昭和レトロも好ましく。ドアを開ければ先客に青山さん、坂ノ下さんコンビ。暑さに負けて早々に避難していたそうな。
水にお絞り、モーニングはコーヒーにトースト、茹卵のセット。トーストには小倉あん。香港生活の長かった佐野さんは紅茶にジャム。小野さんは全国展開している名古屋のチェーン店で愛知風をよくご存知だった。取り留めないお喋りの合間に句の推敲。提出は三句。星眠先生との吟行はいつも十句だったと涼しい顔の原田さんが手作りの梅干しを分けてくださる。同じくいつも涼しげな鳥越さん。そのうちに湯呑が運ばれてきて、中身は昆布茶。これは気が利いていると喜んでいると、小野さん曰く、そろそろご遠慮くださいの追い出し昆布茶かも、、と。お代は一人三百六十円也。
神社への道を戻り、幹事の片岡さんが予約してくれた文化センターへ。布施さんとは一人はぐれてしまったので次回の為に連絡先を確認。句会では同じ材料がそれぞれの角度で詠まれ、吟行の醍醐味。お祭の醍醐味はやはり夕方から。一宮駅へ戻る頃になって続々人の波。コロナ後初めての例年通りの祭は続く三日間も盛況だったらしい。
遠隔地の吟行への参加は時間、費用、体力等、実際には諸々ハードルは高いが、名古屋に限らず各地で同様の交流が図れると今後楽しいのではと考える。