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橡の木の下で

俳句と共に

「J R中央線」令和5年「橡」12月号より

2023-11-28 16:27:06 | 俳句とエッセイ
 JR中央線    亜紀子

 我が家のすぐ近くをJR中央線が南北に走っている。故郷の安中では川向こうに信越線の鉄路が信州へと続いていた。夜の窓辺でいつも遠汽笛を聞いた。何かノートに記しておきたいような響きだった。ここはビルと交通量の多い道路に阻まれて電車の音は聞こえてこない。ひっきりなしに車や人声や、サイレンばかり。騒音の壁といったところだ。そのかわり線路に沿って延びた花壇のある遊歩道を散歩コースにしている。ボランティアが四季折々の草花を育ててくれ、立葵やカンナなど懐かしい。一部分は地面を掘り下げ電車は谷間を走るようになっており、その上の橋のたもとで撮り鉄がカメラを構えていたり、夕暮れの買い物帰りの親子が電車に手を振ったりしている。そうだ、この電車に乗って行けば信州長野へ出て、さらにその先、群馬は安中、我がふるさと。通り過ぎる電車を見るたびに行こう行こうと思っていて、なかなかその機会がなかった。
 ついにその機会到来。十月の連休に妹と軽井沢で落ち合い、碓氷峠を下って安中の姉を訪う計画をたてた。名古屋から長野まで特急「しなの」が一日十三本出ているが、急に思い立ったので切符の用意もない。連休とあって当日の朝には指定席は既に満席。最寄駅は特急が停車しないので少し先、岐阜県多治見駅から「しなの」の自由席に乗ることに。秋晴れの多治見駅でJR貨物の海老茶色のコンテナを販売していた。扉を開けて椅子など並べて、結構な人出。そういえば以前句会にこの光景を詠んだ人がいた。目の当たりにして成る程と納得。
 「本日は自由席も混み合っております。指定席の通路にお立ちいただくことも可能です。お客様には大変ご迷惑かけます、、」とホームのアナウンス。乗り込んだ列車は通路どころかデッキも一杯でそれ以上中に進めない。覚悟の上なのでデッキに立ったまま文庫本を読むことにする。スーツケースに腰掛けた若い女性。年寄った夫婦とその息子らしい三人。荷物らしい荷物のない若者。諸々、皆狭いデッキで覚悟を決めた乗客。ひとり外国人の青年が松葉杖をついて客車の連結部分に挟まるようにして立っていた。アキレス腱切っちゃったと日本語で教えてくれたが、この混雑では席を譲ってもらうことは不可能に近い。彼も覚悟を決めているのだろう。列車は恵那から中津川、南木曽と木曽山中を進んで行く。いくらか色づき始めた木々を縫う澄んだ渓谷の流れ。途中下車したくなるが降りる人はいない。スーツケースの女性は塩尻まで行くという。その塩尻でだいぶ客が降り、私も杖の青年も席を確保。彼は松本までの五分間ほど杖を横たえることができたわけ。
 終着駅長野で新幹線に乗り換え、軽井沢へ。改札口に妹が迎えてくれた。橡俳句にとっては聖地、私にとっては父の思い出の地でもある軽井沢。久方ぶりでどんなに懐かしいだろうと構えていたのだが、案外にさらりとした気分。郷愁というのはあくまで私の頭の中の出来事で、眼前の風景とは別物らしい。故郷岡山をこよなく慕った内田百閒が何度となく岡山を通りながら一度も下車しなかったという逸話を思い出す。
 とは言うものの、真夏の観光シーズンを過ぎ、紅葉にはまだ早い軽井沢の散策はやはり良かった。森の道を一本逸れれば人と出会うことがない。懸巣が一人騒ぎ、啄木鳥のドラムが谺する。あちら、こちらにはマンション建設中らしい敷地があり、地価が上昇中で地元は困惑というような話に危惧も覚えるが今はただ閑か。雲場池を一周する。犬を散歩の人が鈴を鳴らしているのを聞いて、この地が昔から熊の生息地だったことを思い出す。きっと近年はさらに増えているのだろう。独活のような白い花は大葉川芎。小さな嫁菜に似た白い花は胡麻菜と呼ぶものらしい。岸辺の茂みが揺れて、軽鴨が一羽溝蕎麦のピンクの小花をしごくようにして熱心に食べている。池に注ぐ水はあくまで透明。
 夕闇迫る頃、音のない時間というものを意識した。考えてみれば日々私は常に人工音に晒されている。大勢の人とすれ違っている。当たり前の生活で、意識もせずに慣れているけれど、自分には制御できない部分で頭の中を、身体全体を刺激され続けているのかもしれない。良いか悪いかは分からないが、何かしらの影響はあるだろう。翌日は電車の廃止された軽井沢ー横川間をJRバスでくだる碓氷峠越え。これもまた楽しみ。果たして故郷の空は如何に。

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「選後鑑賞」令和5年「橡」12月号より

2023-11-28 16:22:44 | 俳句とエッセイ
  選後鑑賞    亜紀子

雁渡し漁網つくろふ影二つ  岡田まり子

 今日は風荒く、漁休みだろうか。小さな漁港で網繕うのは男二人でなくて夫婦ではないかと想像した。影二つという語からの印象。厳しい季節への入り口、モノトーンの絵画の趣に心引かれた。

海遠く原子炉超ゆる帰燕かな 鈴木月

 岬の灯台を過ぎる帰燕の句は目にすることがある。福島第一原発の炉を越えていくと詠まれた掲句に今一度目が覚めた。私たちの手に余るものは手から溢れ崩れる。自然の運行、帰燕の群に言葉があれば何を言うだろうか。

茄子のみ異常気象に大当り  角田はる子

 いやはや本当に大変な夏だった。猛暑、酷暑。畑の茄子は元気だったようだ。語調揃い、異常気象という硬めの言葉もすんなり収まる。お祭り気分のなすびの様を想像。

花蕎麦の朝風白き越の旅   布施朋子

 真白の蕎麦の花、秋風白き趣きの風土。こんな季節に私も旅にありたいと思わされた。

もう行けぬ亡夫の奥津城野紺菊 岩下悦子

 薄紫の野紺菊の花がかたまって咲いている。この季節に決まってご主人のお墓参りをしていたのか。墓前に来れば語りかけ、心落ち着ける時間があったことだろう。そこにもこの花が咲いているはず。切ないことと思う。

稲妻や大動脈の枝分れ    松本幹司

 大気不安定な日が多かった。私も度々目にした稲妻。まさにこの姿。続く大音響は心臓に悪い。

草相撲とび入り少女勝名乗る 佐藤法子

 お宮の祭礼か、あるいは子供会などのイベントか。草相撲に女の子が参加する機会は随分以前から見られるようになった。自分の下級生にも滅法強い女の子がいた。確かひかりちゃんという名だったような。掲句、飛び入りで勝名乗りとは、観客大いに沸いたことだろう。

独り居に少し冷せる桃をむく 奥村綾子

 桃は冷やし過ぎず、食べる少し前に冷蔵庫に入れてちょうど良い頃合いの温度で。一緒に食べる相手がいればなお良いのかもしれないが、一人の暮らしも恙なく落ち着いた様子が感じられる。

音頭とる老妓みこしの上に立ち 伊藤千代

 わが町の八幡様の秋祭りには女神輿が出る。音頭取りが乗れるほど大きくはない。界隈を巡るも見物人はさほどで、依然コロナ禍を引きずっているのかもしれない。掲句は賑やかそうだ。若い芸妓さんでなく、老妓というところに注目。さすが腰もしゃんとして決まっている。

米搗ばつた子らに持つ脚教へけり 中村正

 虫は苦手という子も多いと聞く。日常生活から昆虫が締め出されているからだろうか。一方虫大好きで、幼稚園に補虫網と虫籠を携えて通って来る子もいる。就学前の子らの多くは、昆虫派、自動車派、鉄道派とに分かれて、それぞれに特別な興味を寄せる一時期があるような気がする。
 さて、米搗きバッタはショウリョウバッタのこと。長い二本の後ろ足を持つと何度もお辞儀をするような、米搗きするような動きをする。昔子供の作者が今の子供たちに伝授。おっかなびっくり見ているだろうか、喜んで手を出したろうか。




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「ゆく夏」令和5年「橡」11月号より

2023-10-28 15:15:19 | 俳句とエッセイ
 ゆく夏    亜紀子
 
旅終へし子のとく寝ぬる夜の秋
挨拶の声変はりして新学期
野つ原やとんぼも子らも飛び回り
大欅夏枯れの枝を広げ立つ
ゆく夏や貝がら色の夕焼け雲
みすずかる信濃の野路は花の園
露を被て盗人萩も花野なす
虫すだく病舎の裏の昼下がり
思慮深き二声三声秋鴉
夕立の止みし茶房に長居かな
かやつり草線香花火の穂の揺るる
秋暑く園に飛び火の彼岸花
高階の鉢に卵を秋の蝶
小灰蝶老いの目に孵化確かむる
高楼の肩よりのぼる今日の月

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「七階の蝶」令和5年『橡』11月号より

2023-10-28 15:08:19 | 俳句とエッセイ
  七階の蝶     亜紀子

 残暑と呼ぶよりは未だ真夏のような九月。彼岸花の開花が遅い。おそらくこの暑さのせいだろうと思っていると、朝晩だけはいくらか過ごし易くなった。と、間もなく毎日歩いている徳川園の菖蒲田の畔に数本咲き始めた。そのうちに街路の並木の下、僅かな土からも次々と茎が伸び、白やピンクの園芸種のリコリスも一斉に。徳川園の彼岸花は去年見なかった場所にもあちこちと顔を出して大賑わい。種を結ばず分球で増える花であるから、園丁が球根を補植したものらしい。引っ越す前に借りていた家の小さな庭にも毎年必ず咲いていた。今はあの家も庭も無くなってワンルームアパートになっている。彼岸花も消えてしまっただろうが、球根を幾つかご近所に分けておいたから、そちらの庭で咲いているだろうか。
 我が七階の部屋のベランダに並べた鉢物。小さなレモンの木に揚羽蝶の幼虫を見つけた。すでに丸々と太った緑色の芋虫が二匹。一匹は大きく、もう一匹は二回りほど小さい。同じ時期に産み付けられた卵が孵ったものだろうが、貧弱なレモンの木では餌が均等に行き渡らなかったらしい。数日して小さい方が動かなくなって、翌朝蛹になっていた。大きい方は見当たらない。以前の庭の揚羽蝶は置きっ放しの自転車のカバーに取り付いて蛹になった。大芋虫も木を離れたのかと、壁や鉢の陰を探してみるも見つからず。鵯がベランダ近くの松の梢でいやにうるさかったから、あるいはよく目立った方は餌食になってしまったのかも。ナミアゲハは卵から羽化するまでに二ヶ月と書かれている。気付かずにいたのは暑さを避けて夕方日が落ちてから、どうかするとすっかり夜になってから水遣りをしていたせいだろう。
 徳川園の庭のほかに周囲に土らしい土はない。どんどん気温は高くなるので朝から締め切って冷房漬け。その窓にひらひらと蝶らしい影。すわやと見ると揚羽ではなくて小灰蝶のようだ。双眼鏡を出してきて覗く。ウラナミシジミ。表は普通の小灰蝶のようにも見えるが少し大きめで、羽を閉じると茶と白の波状の縞模様、後翅の先にオレンジ色に黒点のアクセントとさらに小さな尻尾のような突起。かつて中里さんに写メールで教えてもらった可愛い蝶だ。黄金狸豆の葉にしきりに卵を産み付ける仕草。蝶がいなくなって確かめる。老眼鏡と虫眼鏡を駆使、小さな小さな白い卵がいくつも葉の表に付いている。全て孵れば見ものだ。
 夕方、レモンの木の蛹は緑色から枯葉のような色になった。暑さにやられたかなと心配になるも、翌朝、既に蝶の姿でぶら下っていた。小型の蛹にしては成虫は随分大きい気がする。お昼になる前にどこかへ飛び立って行った。
 それから毎日豆の葉を点検。四、五日くらいしたろうか、葉の表面に色の違う模様のような部分ができて、どうやら孵化した幼虫の食痕らしい。その幼虫を探すが虫眼鏡も役に立たず。もう少し大きくなるのを待とう。
 さらに、今度は三つ並んでいるパセリの鉢の一つに鳥の糞のような芋虫一匹発見。これは黄揚羽の幼虫。数日すると緑に黒の縞にオレンジの点々を施した派手な衣装に。これがパセリの繁みの中に居ると案外目立たない。蝶になるところが見たいもの。
 ところで、殺虫剤会社のホームページでは蝶(幼虫)も害虫の一種。ナミアゲハは柑橘類、ウラナミシジミは豆類、キアゲハはセリ科の野菜。七階のベランダは畑ではないから芋虫の食べ放題バイキング。しかし去年はこんなことは一度も起こらなかった。もしかしたら猛暑で昆虫の世界にも多少の異変があったのかもしれない。
 毎晩田舎の姉に電話を入れている。あちらも暑かったのは一緒だが土の上に建つ家屋に大きな橡や辛夷の木々の陰があり、外から帰ると随分と涼しいそうだ。
樹木の陰、草や花や土の匂い、それらが本当に恋しく思われたこの夏がようよう秋を迎えようとしている。これからは穏やかな季節ができるだけ長く続きますように。

泉湧く岩より翔てり墨流し蝶 中里秀行(平成二十三)
臭木咲き麝香揚羽の群れさかる 同(平成二十四)
孔雀蝶あざみ一本吸ひつくす  同(平成二十五年)
日陰蝶ひらり触れゆく山路かな 同(平成二十七年)
舞ひ落つるあさぎまだらや葛の谷 同(平成二十九年)

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選後鑑賞令和5年「橡」11月号より

2023-10-28 15:04:59 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞    亜紀子

銀漢やお鉢巡りの灯を連ね  布施朋子

 日本一の山、富士山。その山頂をぐるり一周するのが「お鉢巡り」。かつて女子フルマラソンを完走したこともある作者。今年は富士登山に挑戦されたようだ。山頂でご来光を迎えるべく、多くの登山者は八合目辺りの山小屋で一泊、そこから暗いうちに出発して頂を目指す。皆それぞれヘッドライトをかざし一列になって延々進む。日の出を見届け、山頂にある神社にお参りしつつお鉢を巡るのだろう。
 やや昔、我が娘二人、友人たちと数名のグループで富士登山した折には皆初めての体験とて随分を気を揉んだのを思い出す。帰宅しての土産話によれば富士山は街中の道より混雑していて途中で渋滞して難儀したとのこと。道に迷うようなことはなさそうだ。
 アフターコロナの今夏も賑わった様子。軽装備の登山者や、弾丸登山と呼ばれる事前の休憩を取らずに一気に駆け上がる登山者等、無理な行程による問題発生もあったようだが、それはそれ。掲句ではこぼれんばかりの星々と小さな人間のともし火とが響きあう。

薬膳の熱き汁吸ふ酷暑かな  松尾守

 本当に本当に暑かったこの夏。とにかく熱中症にならぬように体調に気をつけ、何とか涼を取ろうと苦心した。掲句に意表をつかれた。身体を冷やそうと冷たい飲料や氷菓ばかり摂るのは良くない。薬膳スープの具材は何だろうか。汗をかいて涼しくなったような気がしてきた。

坂下へ心急くなり盆太鼓   福士由紀子

 踊りを告げる太鼓の響き、草履をつっかけて急いだ幼なき日の姿を見る。ここは横浜、作者は坂上に、踊り櫓は坂下の広場にあるのだろう。

まだ青き柚子や一片水割に 浦田和雄

 未熟な青柚子、見た目も香りも、キリッと涼やか。グラスに鳴る氷の音も快く。ちなみに氷、焼酎、水の順番で、最後に柚子一片だそうだ。

目覚むれば叡山バスは霧の海 豊田風露

 比叡山延暦寺、その広大な境内は東塔、西塔、横川に分かれている。じっくり見学、お参りするのは一日がかり。学生さんの作者はシャトルバス一日乗り放題の「比叡山内バス一日乗車券」を利用されたのか。
疲れてうとうとされたようだ。琵琶湖を下に霧の湧きやすい叡山、「霧の海」の語には下界を離れた仙境の趣きが満ちている。

安達太良の連射のごとく星飛べり 大塚幸雄

 八月のお盆の頃、ペルセウス流星群の活動が極大に。観察条件が良いところでは一時間に二十から三十の流れ星が見られるとのことで、私も屋上に昇った。途端に一筋流れた。願い事の暇もない。それきりでなしの礫。都会は灯の海。掲句は連射というのだから凄い。安達太良山が撃ち出しているかのよう。これこそが本当の夜。

こぜりあひ続く樹液場こがねむし 宍戸努

 楢や櫟などの幹に傷がつくと樹液が滲み出る。そうして木は自らを守る。この樹液が発酵すると良い匂いがするそうだ。樹液目当てに様々な虫が集まる。兜虫なら大立ち回り、相手方を投げ上げて落とすか。黄金虫は穏やかそうだ。それでも邪魔者は小突き出す。入れ替わり立ち替わり、虫たちの行動を眺めて飽かぬ作者。昔、近所のやんちゃな虫取り名人が兜虫や鍬形を見せてくれた。一匹欲しがると、女はすぐ死なせちゃうから駄目だよと失礼なことを言い、相手にしてもらえなかったことを思い出した。
 木の洞に昆虫酒場夜の秋  中里秀行
             (平成二十二年十月号)







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