JR中央線 亜紀子
我が家のすぐ近くをJR中央線が南北に走っている。故郷の安中では川向こうに信越線の鉄路が信州へと続いていた。夜の窓辺でいつも遠汽笛を聞いた。何かノートに記しておきたいような響きだった。ここはビルと交通量の多い道路に阻まれて電車の音は聞こえてこない。ひっきりなしに車や人声や、サイレンばかり。騒音の壁といったところだ。そのかわり線路に沿って延びた花壇のある遊歩道を散歩コースにしている。ボランティアが四季折々の草花を育ててくれ、立葵やカンナなど懐かしい。一部分は地面を掘り下げ電車は谷間を走るようになっており、その上の橋のたもとで撮り鉄がカメラを構えていたり、夕暮れの買い物帰りの親子が電車に手を振ったりしている。そうだ、この電車に乗って行けば信州長野へ出て、さらにその先、群馬は安中、我がふるさと。通り過ぎる電車を見るたびに行こう行こうと思っていて、なかなかその機会がなかった。
ついにその機会到来。十月の連休に妹と軽井沢で落ち合い、碓氷峠を下って安中の姉を訪う計画をたてた。名古屋から長野まで特急「しなの」が一日十三本出ているが、急に思い立ったので切符の用意もない。連休とあって当日の朝には指定席は既に満席。最寄駅は特急が停車しないので少し先、岐阜県多治見駅から「しなの」の自由席に乗ることに。秋晴れの多治見駅でJR貨物の海老茶色のコンテナを販売していた。扉を開けて椅子など並べて、結構な人出。そういえば以前句会にこの光景を詠んだ人がいた。目の当たりにして成る程と納得。
「本日は自由席も混み合っております。指定席の通路にお立ちいただくことも可能です。お客様には大変ご迷惑かけます、、」とホームのアナウンス。乗り込んだ列車は通路どころかデッキも一杯でそれ以上中に進めない。覚悟の上なのでデッキに立ったまま文庫本を読むことにする。スーツケースに腰掛けた若い女性。年寄った夫婦とその息子らしい三人。荷物らしい荷物のない若者。諸々、皆狭いデッキで覚悟を決めた乗客。ひとり外国人の青年が松葉杖をついて客車の連結部分に挟まるようにして立っていた。アキレス腱切っちゃったと日本語で教えてくれたが、この混雑では席を譲ってもらうことは不可能に近い。彼も覚悟を決めているのだろう。列車は恵那から中津川、南木曽と木曽山中を進んで行く。いくらか色づき始めた木々を縫う澄んだ渓谷の流れ。途中下車したくなるが降りる人はいない。スーツケースの女性は塩尻まで行くという。その塩尻でだいぶ客が降り、私も杖の青年も席を確保。彼は松本までの五分間ほど杖を横たえることができたわけ。
終着駅長野で新幹線に乗り換え、軽井沢へ。改札口に妹が迎えてくれた。橡俳句にとっては聖地、私にとっては父の思い出の地でもある軽井沢。久方ぶりでどんなに懐かしいだろうと構えていたのだが、案外にさらりとした気分。郷愁というのはあくまで私の頭の中の出来事で、眼前の風景とは別物らしい。故郷岡山をこよなく慕った内田百閒が何度となく岡山を通りながら一度も下車しなかったという逸話を思い出す。
とは言うものの、真夏の観光シーズンを過ぎ、紅葉にはまだ早い軽井沢の散策はやはり良かった。森の道を一本逸れれば人と出会うことがない。懸巣が一人騒ぎ、啄木鳥のドラムが谺する。あちら、こちらにはマンション建設中らしい敷地があり、地価が上昇中で地元は困惑というような話に危惧も覚えるが今はただ閑か。雲場池を一周する。犬を散歩の人が鈴を鳴らしているのを聞いて、この地が昔から熊の生息地だったことを思い出す。きっと近年はさらに増えているのだろう。独活のような白い花は大葉川芎。小さな嫁菜に似た白い花は胡麻菜と呼ぶものらしい。岸辺の茂みが揺れて、軽鴨が一羽溝蕎麦のピンクの小花をしごくようにして熱心に食べている。池に注ぐ水はあくまで透明。
夕闇迫る頃、音のない時間というものを意識した。考えてみれば日々私は常に人工音に晒されている。大勢の人とすれ違っている。当たり前の生活で、意識もせずに慣れているけれど、自分には制御できない部分で頭の中を、身体全体を刺激され続けているのかもしれない。良いか悪いかは分からないが、何かしらの影響はあるだろう。翌日は電車の廃止された軽井沢ー横川間をJRバスでくだる碓氷峠越え。これもまた楽しみ。果たして故郷の空は如何に。