なかなか釣りに行けない

なかなか実釣出来ず、稀の釣行を夢見て、机上の空論を重ねる備忘録です。

宮城県仙台平野の巨大津波から宮崎平野を思う(20160426)

2016年04月26日 23時59分58秒 | 日記
宮城県仙台平野の巨大津波から宮崎平野を思う(20160426)

巨大津波が来たであろう平野部で津波伝説が存在しない場合、その地域の集落はほぼ全滅したのかもしれない。

その可能性をこの著書が指摘する。
「仙台平野の歴史津波 巨大津波が仙台平野を襲う! 単行本(ソフトカバー) – 2011 飯沼勇義」
http://www.amazon.co.jp/仙台平野の歴史津波%E3%80%80巨大津波が仙台平野を襲う!-飯沼勇義/dp/4990602900/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1461619947&sr=1-1

2011年の東日本大震災の大津波は、西暦869年(貞観11年)の地震/大津波の再来とされる。
しかし本著は、西暦700年頃に貞観大津波を上回る大津波が仙台平野を襲った可能性を指摘する。
理由は西暦724年頃、多賀城に国府が移転されたが、それ以前はより標高の低い仙台郡山に大きな役所(大官衙:ダイカンガ)を営んでいたらしい。
発掘で判明、成立は西暦660-670年頃(本著参照p56-75)、その後に貞観大津波を上回る規模の津波で仙台郡山の国府機能を流失させた、とのこと。
それで慌てて高台に造成したのが多賀城らしい。
この西暦700年以前の大津波の記録は非常に乏しく、壊滅的な被害を受けたのではないか、との記述。

九州の宮崎平野はどうだろう。
北浦から宮崎への広大な平野。
仙台平野、関東平野並みの大平野。

耕作地も人口も多い。
でも何故、文化的中心地になっていない?

もちろん大分も現在、九州文化の中心地ではない。
大分は山ばかりで平野部は極端に少なく、石高も決して多くはない。
しかし西暦741年頃から1587年頃の800年間、九州交易の国内要所。
その1587年以降、大分は大友氏と共に極端に衰退。
九州の中心は完全に博多に移り、この約400年間、博多-熊本-鹿児島と続く九州西岸が栄華を極めるに至る。

一方、九州東岸の宮崎平野は非常に広大で大河川の扇状地で肥沃。
今日も盛んな農業が食糧を豊富に供給してくれている。
当然人口も多く、今現在も様々な文化が育まれている。
しかし何故、この千何百年の間、歴史の中心に躍り出なかったのか?
鳴り響く天孫降臨の日向は高千穂以外に。
神武天皇の東征の出発点であった以外に。
(宮崎という地名は宮の前という意味、宮は”皇族”を意味し、日本書紀にもあるように皇族の出身地を示す)

まさか宮崎平野は文化的資産が全て流失する程の壊滅的被害を巨大津波で何度も受けていたのではなかろうか。

大分では少なくとも西暦600年以降の歴史の途絶は無い(古宮古墳大分君~豊後国分寺の頃より始まる歴史記録)。
日本最古の歴史書である古事記の成立が712年とされるのでそれ以前の記録は怪しいものの、少なくとも古事記以前の成立が古宮古墳大分君になる。

その一方で、宮崎平野については歴史記録の連続性はあまりにも脆弱だ。
あんなにも広大で豊かなのにも関わらず。

何故、宮崎平野の歴史が飛躍発展しなかった?
何か他の壊滅的な戦乱があった? いやそのような史実すらない、大友宗麟敗退の記録以外には。

宮崎の歴史書を見ると「塩害との戦い」とのこと。
歴史書では塩害は波浪でもたらされるとの記述。

宮崎沿岸は見ての通り防風林が非常に発達している。
東北の沿岸部もそうだが、この防風林が塩害を防ぐとされる。

なら宮崎平野も防風林で塩害など制御出来るはずだが?
文化文明の発展が損なわれない程度に、それこそ伊達市仙台平野の様に。

この宮崎平野で、一体何があったというのだ?

宮崎平野のボーリング調査結果はどうなのだろう?
大分県佐伯市米水津の龍神池では高知大学がボーリング調査結果を報告している。
http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou87/12_02.pdf
宮崎県 新富町 日置の湖水(こみず)ヶ池でも高知大総合人間自然科学研究所が同様の調査を行っているが、その結果はどうだったのだろう?
http://ameblo.jp/kowai2/entry-11134177778.html
不思議な事に、この調査結果はネットで検索しても全く見つからない。
調査そのものが失敗だったのか、それとも公開出来る調査結果ではなかったから?
ただ、高知大学理学部災害科学講座の岡村眞先生研究室HPによると「宮崎、湖水ヶ池 2011年12月」とあるので、目下解析中なのかもしれない。
http://sc1.cc.kochi-u.ac.jp/~mako-ok/research/11miy/11miy1.html

現在、宮崎県が「県としての新たな「津波浸水想定」の設定について」との南海トラフ地震の津波被害想定結果を公開している。
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/kiki-kikikanri/kurashi/bosai/page00150.html
更に「県における南海トラフ巨大地震等に伴う被害想定について」では最大津波の予想高を更新している。
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/kiki-kikikanri/kurashi/bosai/documents/4579_20160423041700-1.pdf
この情報は朝日新聞でも「南海トラフ地震の被害想定:朝日新聞デジタル」として報じられた。
http://www.asahi.com/special/nankai_trough/

これらの情報から南海トラフ地震の津波高が、延岡市で14m、宮崎市で16mに達するだろうことが判る。
しかしこの波高は、東日本大震災時の大津波(仙台平野で10m前後)を遥かに超えるのだ。

その対策はどうか。

宮崎市の「宮崎市地震津波対策インフラ構想」がここで閲覧出来る。
http://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/fs/6425/kousou-zenbun.pdf

しかし驚く事に、「1662 年 10 月 31 日 (寛文2年9月 20 日) 午前 0 時頃 (外所地震)」以前の津波の記録が全く無いのだ!
大分県佐伯市米水津の龍神池は津波被害を幾度と受けているのに、
南海トラフにより近い宮崎平野では1662 年以前には津波がなかった、というのか?

津波という用語は慶長年間(1596年-1615年)頃から始まったらしい。
「津波の比較史料学 都司 嘉宣|これまでの企画展示|企画展示|展示のご案内|国立歴史民俗博物館」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/030708/tsushin/no2/tsuji.html
この1600年代以前の津波は「津波」以外の用語で不統一に記録されているとのこと。

「津波が、古代日本の太平洋岸の文明を滅ぼしたのでは? - 文春新書『英語学習の極意』著者サイト:楽天ブログ」
http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/201204030000/
この筆者の2012/4/3の記事に、「神武天皇の東征は、日向(ひゅうが)の地が津波に遭ったので避難のため移住した」のではないかとある。
何故あの広大で肥沃な平野を神武天皇はお見限られ、かつ東征をご決意なされたのか。

その答案の一つが、飯沼勇義氏の御著書に慄然と示されている。

有るべきはずの津波の記録がない、その”空白の記録”こそ壊滅的な津波被害を受けた明確な左証なのかもしれない。

宮崎平野は今、20m前後の津波被害の脅威の前にあるのではないか。

今、宮崎平野はその備えに万全なのだろうか。

この大分市沿岸も南海トラフ地震の津波は10m程度に達するという。
私達自身も充分に備えていきたい。
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