Nonsection Radical

撮影と本の空間

官民一体の観光観

2013年03月03日 | Weblog
メシ時のニュースで大阪府と大阪市、関西経済団体が会議をして、大阪に観光客を呼び込む作戦を開始すると言う。
「大阪観光局」を設立するという。
知事、市長、経済団体トップが雁首を並べて意見交換をしている映像が出たのだが、その意見の大時代的なことといったら・・・。
具体例として、外国人が来たら法善寺に連れて行って、水掛け不動尊を洗わせたらすごく好評だった・・・。
ほほぅ、それは良い考えですねぇ。
てなもんで・・・。

近県の京都、奈良、神戸などに外国人を始め観光客が集まるのに、なぜ大阪はそれより少ないのか?って考えないのだろうね。
呼びものが少ないとか言っていたけど、たくさん楽しいものは大阪にありますよ。
京都の街を歩くように、大阪の街を歩くのも楽しいです。
ただ、観光物がポイントでしか紹介されていないので、その間の移動にクルマなり電車を使って途中を抜いてしまうから密度が薄いように思われてしまう。
京都のように、バスや地下鉄はあるが、それでも多くの人が歩いて移動する間に、街を周遊して楽しむ機会を持つのとは大違いだ。
つまり街全体を観光地化することで、来る人に密度の濃い時間だと感じてもらえるのだ。
それに見合う観光ポイントはたくさんある。
が、
当の大阪に住む人には、観光地化に対する自覚が全然ないのが、実は一番の問題なのだ。
観光地化には、”開かれた街”の意識がないとダメなのだ。
他所から来た人を受け入れる意識が必要なのだ。
しかし残念ながら、他の地域と比べて大阪は、良くいえば地域社会の密度が濃く、悪くいえば閉鎖的でムラ意識丸出しで、気軽に観光客がどこでも歩き回るにはハードルが高い。
それを自身で認識している率が低いのだ。
観光地化するということは、知らない人がウロウロと色々なことをするのを認めなければならない度量が必要なのだ。
もし大阪に観光客を長時間滞在させるには、観光ポイント周辺だけでなく、地域一帯となった受け入れ意識が必要なのだ。
それが現在の大阪にはない、というのが感想だ。
観光客は何に興味を示すかはそれぞれで、それを固定化することは出来ないし、「見るとこ見たら、さっさと帰って」は成り立たないのだ。
それが観光地の宿命で、だからこそ観光客は知らない土地の隅々まで楽しむことが出来るのだ。
そういう意識が、残念ながら会議をしたお偉いさん方にはなさそうだったので、残念だったのだ。



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コメント
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