Nonsection Radical

撮影と本の空間

雑誌の役割り

2013年03月06日 | Weblog
これだけネットが一般的になると、雑誌という媒体は時間の関係で後追いとなる。
雑誌発売の時には、すでに情報はネットが広めていて、特に目新しい情報がない場合、買う必要性を感じない。
では雑誌の役割りは終わったのかというと、そうともいえない。
かといって、雑誌が新たな役割を自覚しているかというと、そうともいえない。
雑誌の新たな役割りは、有料であるだけの詳細な情報を持つ事だろう。
ネット上での情報と同じものを使っていては、お金を払う人はいないだろう。
詳細な情報とは、雑誌の場合文字での情報だろう。
ビジュアル面ではネットの方が優位な気がする。
”読ませる”記事で読者を釘付けにする。
どこにも出ていない話を提供する。
詳細なデーターを提示する。
そういう役割りが有料としての雑誌の生き残り方だろう。
雑報はネットに任せても、詳細の情報はネットに提供しない。
そういうあり方が求められる。
そうでないと、存在する意味がない。
新聞の切り抜きを提示して、偉そうに解説するテレビのワイドショーなど論外であるが。
そういう読ませる雑誌を作るべきだし、読者もそれを支持しなければ、当たり障りのない雑報だけで何かを知った気になってしまう。
そんな雑誌はさていくつあるだろうかと思うと困ってしまうが。



泉橋から 神奈川県相模原市


御前浜公園からの眺め 兵庫県西宮市
コメント
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