Nonsection Radical

撮影と本の空間

小説とノンフィクション

2013年03月05日 | Weblog
若い頃は(今でも若いぞ)、おもにノンフィクションばかり読んでいて、小説を読むことが少なかったので、あとになって基本的知識に欠けることを自覚し、あわてて定番の小説に手を出した。
それでもまだまだ読み足りないのだ。
小説は若い時から読むべきだ。
少年老い易く、ガタ治り難し と言うではないか。

現在は、小説とノンフィクションを両方読んでいるけど、小説は、読む種類にもよるんだろうけど、読んでオシマイ。
面白ければ同じ作者のものを次も読むという状態だ。
一方、ノンフィクションは読んでからが大変。
話の中に出てきた気になることを調べ始め、関連のある本を探し、さらにまた生まれる疑問を調べとキリがない。
本はドンドン増えていくし、話は複雑になるし、興味は尽きないしと時間もお金も消えていく。
それで何が理解出来たかという事をまとめたりはしないので、ムダと言えばムダである。
しかしそのムダな事が思考の一部になる事もあるかもしれない場合も考えられなくもないので、とりあえず頭の肥やしとして止められないのだ。
それでも基本的なところで、正しい事ばかりではないと思っているので、こういう事もある、という立場を持とうとしている。
というより、読めば読むほど疑問や矛盾を感じる事が増えるので、どの考えを採用するかではなく、様々な考えがあるとしか思えなくなるのだ。
ひとつの事でも、1冊の本で語り尽くせるものではないので、どの面から、あるいはどの点から話をしているかを意識しながら、では別から見ると?と考えざるを得ない。
その点、小説はあまり深く考えずに表面的にだけ読んで済ませているのは、単に読んで楽しみたいからだ。
だから結構読み違いや勘違いで、あとで恥をかく事も多い。
でもそれでいいと思っているのだからイイのだ。




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