Nonsection Radical

撮影と本の空間

狭義の定義

2012年09月20日 | Weblog
たとえば何かのサポートに電話したりして、訊きたい事を伝える場合に、なにげなく巷で使われるような”専門用語”を口にすると、やたらとその用語の正確な定義にこだわり、定義と外れた使い方であるからとか、意味を狭くとってちっとも話が進まない事ってあるじゃないですか。
ラチがあかなくて電話を切るのだけど、それはサポートの説明に納得したからではなく、ちっともこちらの言いたい”真意”をつかもうとしない相手にウンザリしてしまうからなのだ。
それはサポートとかだけの話ではなく、普通に誰かと会話していても、いざそこに“安易な”専門用語が入った時に、その専門用語の定義にこだわり、話の意味を狭くとって、同様にラチのあかない話になる事があるよね。
では、その自分の専門の用語にこだわる人が、他の事でも同様に気を使って、安易に曖昧な用語を使わないかというと、そうでもない。
他の分野では、結構イイカゲンな使い方をしたりするものだ。
つまり、誰もがこういう”呪縛”に陥るという事だ。
その専門の用語の定義を詳しく知っているばかりに、その定義に縛られてしまい、相手が何を言いたいのかを考えられなくなり、気まずい雰囲気になる。
そこでそんな用語の狭い(正確な)定義に縛られる事がなく、相手が何を言いたいのかを推察出来る人であれば、専門であるという”プライド”を見せずに相手の話を理解し、相手にもラチをあけさせる事が出来るのだ。
それが”ホント”の専門家ではないかと思うのだけどね。
曖昧な言葉で訊ねてくるシロートの真意を見極めて、適切な答えを返すのは、本当に難しい事だと思う。
だけど、世間に評判のイイ”先生”というのは、その難しい事をやってのけるから評判がイイのだ。
本で読んだのだが、帝国ホテルの総料理長だった村上さんは、テレビの料理番組で指導する時に、ホテルでは使わない化学調味料やインスタントなどもあえて使って家庭での料理という事を教えたそうだ。
それは本格的な味付けをプロの仕事はこうだと見せつけても、一般家庭での料理とはかけ離れてしまうだけだとわかっていたからだ。
そういう事をしても、新しい料理を作ってみようかなと思う料理好きを増やそうと努力したわけだ。
そういう気持ちがあると、話はお互いわかりやすくていいんだけどねぇ。




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コメント
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