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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




左:小山魚店、墨田区墨田2-33。右:江島タバコ店、墨田2-21。2019(平成31)年3月2日

墨堤通りと東武伊勢崎線の中間あたりを南北に通っている通り。周囲は住宅地だが、写真の通りは幾らか商店街のような趣がある。北方向への一方通行のせまい通りである。明治半ばまで田圃だったかと思える低地で、1万分の1地形図にはちょうど左写真の場所に「-0.8(m)」と記されている。
昭和22年の航空写真を見ると、この辺りは空襲の被害をまぬがれている地域である。そこに写っている住宅は長屋が多かったかと思える。当然、今はほとんどが建て替わっているが、古く見える家があれば戦前からのものであっておかしくない。また、周辺は工業地帯でもあって、1980年頃までは工場が多く立地していた。そこで働く職工が長屋を借りたのだろう。玉の井や鳩の町も、その背景があってのことだった。
写真の商店名は1985(昭和60)年の住宅地図による。小山魚店はすでに廃業しているのかもしれない。江島タバコ店の右は地図では「花又食堂」。写真では住宅に改装されている。

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カフェー春美だった家。墨田区墨田3-12
2019(平成31)年3月2日

今回の記事は「憩、九十九/墨田3丁目」ですでに取り上げた建物である。その記事で「出桁造りの家」とした建物が、2016・17年頃に建て替わったしまった。その家に関しては、玉の井についての貴重な情報を提供していただいているキューピーさんから、コメントをもらっている。それをもとに、再度の登場である。
「憩」というカフェーだった建物は、赤線があった時代に称されていた「本通り」と「銀座通り」が交わる角にある。現在、本通り側の正面は2つの家がくっついて建っているようにしか見えないが、同じ建物である。憩の左側の家は古い民家のような造りだが、『玉の井 色街の社会と暮らし』(日比恆明著、自由国民社、2010年、2800円)の「昭和28年頃のカフェー街」地図に「春美」とあるカフェーだったと思える。2階のベランダの手すりのようにも見えるものはカフェーの遺構なのだろうか? 柱に「玉ノ井町会々員」の表札が付いている。
上の写真では春美の左にあった家が取り壊されて春美の横と、その後ろの、表を銀座通りに向けた長屋の裏側が見えている。


カフェー鶯だった家。墨田3-12
2013(平成25)年4月5日

出桁造りの家は、キューピーさんからのコメントによれば、昭和10年に開業した酒屋だった家。その開業時に建った建物だろうか? 『玉の井 色街の社会と暮らし』の「昭和28年頃の玉ノ井界わいの住宅地図」の「磯部酒店」である。
戦後は「鶯」というカフェーを営業した。その時期は周囲のカフェーより5・6年遅く、昭和27・8年の開業だったという。
写真右のガレージが1枚目写真の手前の空き地にあったもの。民家の前面をガレージにした建物だったかと思う。古い航空写真を見ると、鶯とその右のガレージとで二軒長屋だったようだ。

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聖ヨゼフ修道院。港区六本木4-2。2013(平成25)年8月7日

東京ミッドタウンと六本木通りの間の裏通りにあるビル。通り沿いに塀があり敷地の少し奥に建っているので、なにかの会社の本社ビルか、あるいは学校のようにも見える。これが「聖ヨゼフ修道院」、右に写っているのが「フランシスカン・チャペルセンター」で、門の脇の塀に「カトリック フランシスコ会」の看板が出ている。つまりカトリック教会の施設である。
4階建てのビルは昭和30年代に建てられたものだろうか? 事務所ビルにしか見えないが、最初から宗教施設として建てられたらしい。『 Laudate>教会をたずねて』には、「第2次大戦後、六本木の元防衛庁の敷地内にGHQの建物があった。そこで働くアメリカ人兵士たちのために、フランシスコ会のニューヨーク管区から司祭たちが来日し、教会を開いたのがそのはじまりである。……フランシスコ会が来日した当時は、大使を経験したことのある川村氏邸があった」「修道院の一部は、2階建てだった旧川村邸をそのまま使い、増築されている。すでに100年以上経っている木造の建物だが、当時かなり立派な洋館であっただろうと思わせるしっかりとした階段や窓枠の飾りなど、今もその趣を残している」とある。

修道院の周辺は空襲によって焼き払われた地区である。向かいにあった志賀直哉の屋敷も空襲で全焼している。川村邸は自邸や隣家の庭木が延焼を食い止めたのかもしれない。ちなみに、1904(明治37)年にジョサイア・コンドルが麻布三河台町25に自邸を建設しているが、チャペルセンターの向かい側辺りになるらしい。



旧川村邸。左: 2013(平成25)年8月7日、右:ストリートビュー2018年8月より

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東京大学工学部列品館。文京区本郷7-3。2012(平成24)年4月28日

東大正門を入ってすぐ左(北)にある建物。向かい側には同じファサードの法学部3号館がある。『国指定文化財等データベース』によれば、内田祥三の設計、1925(大正14)年竣工、鉄筋コンクリート造3階建。関東大震災前に建築が始められている。また、「かつては伊東忠太や関野貞等の収集した中国や朝鮮での調査資料が陳列されていた」とあり、工学部の本部が置かれている、とある。『ウィキペディア』には「列品館と命名されたのは、当初学術標本を展示する博物館として使用する予定であったためであるが、実際に標本等が列品されたことはなく、現在は工学部の事務室として利用されている」とあった。

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