
カフェー春美だった家。墨田区墨田3-12
2019(平成31)年3月2日
今回の記事は「憩、九十九/墨田3丁目」ですでに取り上げた建物である。その記事で「出桁造りの家」とした建物が、2016・17年頃に建て替わったしまった。その家に関しては、玉の井についての貴重な情報を提供していただいているキューピーさんから、コメントをもらっている。それをもとに、再度の登場である。
「憩」というカフェーだった建物は、赤線があった時代に称されていた「本通り」と「銀座通り」が交わる角にある。現在、本通り側の正面は2つの家がくっついて建っているようにしか見えないが、同じ建物である。憩の左側の家は古い民家のような造りだが、『玉の井 色街の社会と暮らし』(日比恆明著、自由国民社、2010年、2800円)の「昭和28年頃のカフェー街」地図に「春美」とあるカフェーだったと思える。2階のベランダの手すりのようにも見えるものはカフェーの遺構なのだろうか? 柱に「玉ノ井町会々員」の表札が付いている。
上の写真では春美の左にあった家が取り壊されて春美の横と、その後ろの、表を銀座通りに向けた長屋の裏側が見えている。
カフェー鶯だった家。墨田3-12
2013(平成25)年4月5日
出桁造りの家は、キューピーさんからのコメントによれば、昭和10年に開業した酒屋だった家。その開業時に建った建物だろうか? 『玉の井 色街の社会と暮らし』の「昭和28年頃の玉ノ井界わいの住宅地図」の「磯部酒店」である。
戦後は「鶯」というカフェーを営業した。その時期は周囲のカフェーより5・6年遅く、昭和27・8年の開業だったという。
写真右のガレージが1枚目写真の手前の空き地にあったもの。民家の前面をガレージにした建物だったかと思う。古い航空写真を見ると、鶯とその右のガレージとで二軒長屋だったようだ。
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