goo blog サービス終了のお知らせ 
ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



五月女ビル。千代田区鍛冶町2-7。左:1987(昭和62)年4月5日、右:1986(昭和61)年6月22日

中央通りの神田駅前。佐竹ビル(現三原堂ビル)のほぼ向かいである。左写真には角のビルの左に1棟、横丁の奥に2棟の小さいビルが写っている。たぶんどれもが戦前の建築になるようだ。
住宅地図では「クスリのマルタン」の入るビルが「五月女ビル」、そこから奥へ「児島ビル」、「和光堂」。右写真は横丁の奥から同じ街区を撮ったもの。
現在は「神田児島ビル」と「和光堂神田ビル」になっている。


児島ビル
1986(昭和61)年6月8日

五月女ビルの隣にあった中央通りに面したビル。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




左:佐竹ビル。千代田区鍛冶町2-2。1986(昭和61)年6月22日
右:オーシャンバー・ギロ(佐竹ビルの神田駅南口通り側)1986(昭和61)年6月8日

中央通りのJR神田駅の前で、JRの高架に沿った神田駅南口通りとの角に立っていたビル。駅前の小さな雑居ビルで、写真から「三原堂菓子舗」の他に「エスエーテーラー」「立喰そば・岩波」「パブレストラン・パリジェンヌ」「フルタカ洋品店」「オーシャンバー・ギロ」「パブハウス・サントリー館」が見とめられる。


1987(昭和62)年4月5日

和菓子の神田三原堂は人形町の三原堂本店からのれんわけして、大正11年に開店している。現在のビルは「三原堂ビル」というから、土地まで手に入れたかどうかは知らないが自社ビルを建てたらしい。

2009.12.11追記
最近、『御光堂世界~Pulinの日記』というブログに、上の写真と同時期のものと思われる佐竹ビルの写真が発表された。『2009.11.30』で、ビルの正面からの写真である。

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )





古いスナップ写真。1956(昭和31)年9月

当ブログの内容とは関係ない写真で申し訳ないが、今回は本編は休憩ということで。写真の人物は当ブログの「MY PROFILE」の写真の女性。つまりぼくの母、関口(旧姓)百合である。もう亡くなって何年になるだろう。ということで、たぶん写真を公開しても文句はでないと思う。
場所は昔、我が家があった鵠沼海岸(神奈川県藤沢市)で、サンダルを突っかけただけだから家のすぐ前だと思う。後ろの道路は湘南海岸沿いの134号線。土地の人は「遊歩道路」といっていた。調べてみると、湘南遊歩道路は1931(昭和6)年に工事が始まっていて、1935(昭和10)年7月に開通し、渚橋と鵠沼橋の渡り初めが行なわれたという。ぼくは意味も解らず「ユーホー道路」と言っていた。国道134号線になったのは1953年のことだ。
関口百合は当時36歳、3児の母である。自分で言うのもなんだが、もう少し若く見える。ぼくは中学1年だった。

コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )





山口隆司商店。台東区入谷1-20。1989(平成1)年3月19日

金美館通りを細沼甘味店の角で南に入った通り。ずっと南下すると浅草橋の左衛門橋に至るから左衛門橋通りになるのかもしれない。写真右端の車の横が細沼甘味店。まだ、戦前の建物がけっこう残っている。現在もストリートビューで見る限りでは、左端の家が建て変わった以外はあまり変化がない。看板建築は改装されて銅板張りの外観は失われた。



「菓子進物類食玩具問屋」の山口隆司商店。1989(平成1)年3月26日


看板建築。1989(平成1)年3月26日

撮影時より数年古いが1986年の住宅地図では、「ジルハウス」のビルは「道楽娘」となっていて、日本家屋と看板建築の家は住居らしい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





海老原歯科医院。文京区本郷6-15。1986(昭和61)年5月

旧森川町の六叉路(五叉路としているサイトも多い)の角にあった元歯科医院の家。写真右奥への道が本郷館への、左奥への道が清水橋へ行く。『日本近代建築総覧』には「海老原進邸(旧海老原歯科)、M41、施工:吉井某」となっている。
『下町残照』(村岡秀夫著、朝日新聞社刊、1988年)によると、海老原進氏の父が明治42頃に開業したと進氏が語っているから、開業時に建てた家らしい。進氏は夏目漱石夫人や徳田秋声が治療に来たと聞いている。当書には内部の写真が2枚載っていて、その説明によると診療室と待合室は2階である。「夏目漱石を訪ねる カメラ散歩>第4回」でその写真を見ることができる。外観は明治期の小学校などに見られる和風屋根に下見板の洋館で、明治末に建てられたものだから驚く。そういえばこの辺りには本郷館を初めとして棚沢書店、旧大西質店、徳田秋声旧居宅などの明治期に建てられた家がいまだに見られる。歯科医院は昭和50年代末には廃業したという。


1988(昭和63)年2月21日

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )





細沼甘味店。台東区入谷1-20。1989(平成1)年3月26日

水上酒本店の隣の細沼甘味店。入谷1丁目交差点の角に立つ。古い日本家屋の商店が2軒並んでいて、戦前の街並みが想像しやすい感じにさせる。建物は5角形の平面になるので屋根の形はかなり複雑のようだ。



魚勇。入谷1-21。1989(平成1)年3月26日

入谷1丁目交差点の東から細沼甘味店の方を見ている。写真左の銅板貼りの家の右側が「魚勇」という魚屋、その右の3階建てのビルが地球堂書店。地球堂は古書店らしいが浅草伝法院通りの店とはどういう関係なのだろうか? 細沼甘味店の向かいはイケダという洋品店のようだが現在は八百勇という八百屋である。魚勇と関係があるのだろうか? 魚勇の銅板貼りの家は正面を改装したが同じ建物のままで、現在も写真に見える建物はほとんどが変わっていない。「ハヤミズ」の看板が懐かしいかも。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





水上酒本店。台東区入谷1-20。1989(平成1)年3月26日

昭和通りから入谷金美館通り商店街に入ってじきに、右側にこの建物が目に飛び込んでくる。1900(明治33)年創業の水上(みずかみ)酒本店で、建物は1929(昭和4)年の建築。出桁造りの屋根を突き破る形で3階部分が乗っている。少し離れて見れば3階の屋根もかなり大きいことが分かり、完全な3階建てに見える。とにかくこんな外観の建物は他に知らない。
金美館通りは昔からの吉原への道筋らしいが、現在の道路は大震災後に整備された。空襲では入谷1丁目の北半分が焼けずに済んだようだ。

1991(平成3)年9月23日

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )





谷口家具店。台東区入谷1-26。1989(平成1)年3月26日

昭和通りと金美館通りの交差点、というより地下鉄日比谷線の入谷駅前である。写真左寄りに地下鉄の出入り口が見える。入谷というと鬼子母神が有名だがその真源寺は下谷1丁目にある。
交差点から昭和通りに面して看板建築の商店があり、それに向けて撮った写真なのだが、谷口家具店の大きなビルを記録した写真になった。写真の交差点を中心に下谷・入谷には大型家具店が集中していた。ハヤミズ家具センターはまだ憶えている人は多いと思う。1990年代には倒産してしまったようだ。



谷口家具店のところに建ったマンションは2002年8月竣工の「ライオンズステーションプラザ入谷」。
2008(平成20)年5月7日

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



   次ページ »