ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



寿ビル。千代田区神田神保町1-3。左:1983(昭和58)年9月、右:1991(平成3)年頃

左の写真は隣の冨山房がまだ旧ビルだ。アーケードの下の白い袖看板はビル左側の東京時計商会のもので、電飾の方は「JOYLAND」。ゲームセンターだろうか?
寿ビルは杏花楼という中国料理の料亭として建ったもので、設計者は森山松之助、1929(昭和4)年の竣工。杏花楼は後に中華第一楼に変わったらしい。「廃景録>消えた近代建築」によると、現在では銀座の越後屋ビルで営業しているという。
ビルの左側上部に「Shoes & Boots」の文字が残っているから靴屋かその関連の会社が入っていたときがあったわけで、ビルの左側は最初から事務所に使っていたのかもしれない。
アーケードが取り除かれたら、杏花楼だったときの中国風の屋根を乗せた入口が現れた。



寿ビル。1992(平成4)年5月5日

『改変によって過剰な装飾の持ち味の大半が失われたのは惜しまれる』(『帝都復興せり!』松葉一清著、平凡社、1988年)というが、これ以上の装飾がどういうものだったのか想像できない。

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コメント
 
 
 
寿ビル (k-kai)
2007-12-21 23:40:57
こんばんは。
この節は私のHPへの記事リンクありがとうございました。

残念ながら、記事にある銀座2丁目の越後屋ビルも、取り壊しです・・・。

怒濤の神保町物件のオンパレードですね!
私が見ることの出来なかった物件も多く、感嘆しております。
岩波書店の古いビルや東洋キネマの写真もありますか?
ビヤホール『ランチョン』はどうでしょう?
(私の知り合いです)

更新楽しみにしています~。
 
 
 
>k-kai様 (流一)
2007-12-22 21:23:52
神田といえばたいていの人はまず神保町が思い浮かぶのでしょうね。当ブログも、もう少し神保町を出してしまおうと思います。
岩波書店と東洋キネマは手振れの写真ですが撮っています。
ランチョンは残念ながら撮っていません。雑誌の古い写真を見ると、洋風の看板建築だったようですね。2階の窓の上の半円飾りは覚えがあります。
 
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