ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




中央区立明石小学校。中央区明石町1。1987(昭和62)年1月15日

明石小学校の建替えに関しては、卒業生や日本建築学会などの保存運動があったが、中央区は「子供の安全で利便性の高い環境」のために強行した。地元の人にしても、古い建物より新しいほうがいいと考えている人が半数以上はいるのだろうと思う。地域の歴史に関心を向ける人も、また少数派ではないかと思う。ぼくは不便な環境で勉強するのも、いろいろな対応力が身に付くのではないかという気がする。
明石小学校のHP の沿革を見ると、昭和50年頃からまめに改修や塗装工事などをおこなっていて、建て替えなどは考えていなかった様子がうかがえる。いったん改築の計画がもちあがると止められないのかもしれない。
旧校舎の取り壊しは2010(平成22)年9月に始まり、11月末には更地となった。5階建ての新校舎が完成したのは2013年1月。



明石小学校、正門と玄関。1989(平成1)年10月15日

校舎は『日本近代建築総覧』では「明石小学校・幼稚園(旧東京市明石尋常小学校)、建築年=大正14年、構造=RC3階建て、設計=東京市、施工=竹田組、「東京市教育施設復興図集」による」。その『東京市教育施設復興図集』(東京市役所編纂、昭和7年)では、起工:大正14年6月15日、竣工:大正15年8月28日。総工費は458,236円。

昭和25年頃の火保図では「Deterch Ment」という記載で、北に隣接していた「区立第二中学校」が「都立京橋高等学校」と「中央区立明石小学校」となっている。米軍に接収されていたらしい。『図説占領下の東京』(佐藤洋一著、河出書房新社、2006年、1600円)では、「Patients Mess (49th Gen Hosp)、東京陸軍病院付属施設」で、接収日の記載はないが昭和28年7月14日に返還されている。



明石小学校、玄関ホールとそこからの廊下。2009(平成21)年12月19日

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