ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




キクヤカメラ。中央区日本橋人形町3-9。1988(昭和63)年4月24日

人形町通りの人形町交差点の北で、写真右に有名なうぶけやがある。写真右端のビルは次田株式会社東京支店のビル。このビルは寄席の人形町末広が1970(昭和45)年1月20日で廃業した後に、その周囲の木造商店などをまとめて建てられたビルで、1971年5月竣工。今は再度建て替わって2004年7月に建った読売ISの本社ビルになっている。
横丁との角の建物は一応看板建築になるのだろうか。建物の左は写真では空き家のようだが、伊原紙店だった。
建物右のキクヤ(喜久屋)カメラは末広の右にあったのが、次田ビルの建築で移ってきたもの。それ以前は「北上電気店」。現在はつけめんの孔雀軒という店が入っている。
横丁側の新興電気(新興ビル)、角の看板建築、うぶけやの3棟が現存している。



うぶけや刃物店。日本橋人形町3-9.1984(昭和59)年1月

うぶけやは天明3年(1783年)創業の打刃物(日本刀などの製造技法を受け継ぐ伝統的な鍛造法で造られた刃物)の老舗。建物は昭和2年の建築という。入母屋造りとも数寄屋風ともいわれる店舗の造りは東京の商家としては珍しいかもしれない。『まち日本橋>日本橋ごよみ>うぶけや(2013.02、28号)』には「店内の総桑でつくられた大きな陳列棚や、唐傘天井が見事だ。昭和50年頃に改装した際には、これらのしつらいを保管しておき、完成後にそっくりそのまま移設したのだという」とある。この店構えから商品の確かさが伝わってくる。



1967(昭和42)年頃の人形町通り

当ブログの『伊勢龍商店』で、1967(昭和42)年の神田祭の神幸祭巡行と推定した写真の別ショット。人形町通りのわりと広い範囲が写っている。店名は右から、「土橋刃物店、キクヤカメラ、人形町末広、翁薬局、うぶけや」。その左は写真からは確認できないが「北上電気店、伊原紙店」だろうか。

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