ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




伊勢龍商店。中央区日本橋人形町3-8。1984(昭和59)年10月

人形町通りの人形町交差点の間近にあった出桁造りの商家。伊勢龍は明治6年創業の老舗の陶器店。看板には「美術陶磁器」と入れている。二階の前面にベランダを設けたわりとよく見るタイプの商家だ。細部に和風の装飾が施されているが、それも含めてほぼ全面的に銅板を貼っているのが特徴だ。右の白漆喰と思われる壁の造りは増築したものだろうか。
どういうわけか、洋風建築をリストアップした『日本近代建築総覧』に「伊勢龍商店、日本橋人形町3-2〈1980年頃に住居表示変更があり、現在は日本橋人形町3-8〉、建築年=昭和2年〈1927年〉、設計=(大工)、施工=-〈不明〉、備考=純和風」で載っている。
現在の建て替わったビルは1986(昭和61)年4月の完成で、伊勢龍ビルとか伊藤ビルといった。現在は「人形町ミハマビル」という名称である。伊勢龍はビルの運営がうまくいかなかったらしく、ビルを手放して水天宮の先に移転した。水天宮参りの土産物なども置いているようだ。
写真左下に文字が白く飛んでしまっているが、2枚の掲示板が写っている。建物の左角はショーウインドーでその上に出ている。右が「建築計画のお知らせ」、左は「玄冶店と橘稲荷由来記」。歌舞伎、あるいは「お富さん」で知られる玄冶店(げんやだな)は元は借家のことから地名に転化したものだが、伊勢龍横の路地一帯の辺りにあったとされる。橘稲荷は路地を抜けた裏通りとの角にある。現在は歩道の車道際に「史跡 玄冶店」の碑が置かれている。



伊勢龍商店。日本橋人形町3-8。左:1982(昭和57)年7月31日、右:1983(昭和58)年10月

右写真で子供が立っているのは次田株式会社東京支店のビル。足元の石の板は「寄席/人形町末広跡」の石碑。次田ビルは、人形町末広が1970(昭和45)年1月20日で廃業した後に建てられたビルで、1971年5月竣工(『言いたい放題>「末広」か「末廣」か?』)。その後次田ビルは建て直されて、現在は2004年7月に建った読売IS(インフォメーションサービス)の本社ビルに替わっている。石碑はそのビルの玄関脇に移されている。



神田祭の神幸祭巡行が人形町交差点にかかろうとするときの記録である。妻のアルバムにあったものだが撮影日が不明。都電が運行しているので1969(昭和44)年より以前である。写っている自動車は1965年頃の形式なので、1967(昭和42)年である可能性が高い。
写っている建物は左から、人形町末広、喜久屋カメラ、土橋刃物店。玄冶店の路地があって伊勢龍商店、たばこも売っているのが上方屋玩具店、島村洋菓子店。その右が交差点角の東京銀行

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