ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




同潤会清砂通りアパートメント1号館。江東区白河3-4。1991(平成3)年6月16日

清州橋通りと三ツ目通りが交わる白河三丁目交差点角にあったのが同潤会清砂通りアパートメントの1号館。今は「清州橋通り」というが同潤会アパートが建った当時は「清砂通り」と言ったのだろう。関東大震災で焼け野原になった白河・三好辺りの復興事業は街区の整備、つまり道路の付け替えから始まった。今までの道路を無視して、ほぼ東西、南北の方向に造り直した。東西の小名木川と南北の大横川に合わせたのだろう。
清砂通りアパートは全部で16棟が建てられるが、1号館がまず建てられた。いち早く同潤会が土地を手に入れていたのと、二本の幹線道路の位置が決まった時点で工事に着手したかららしい。2本の幹線に向いた棟ということで同潤会アパートの中心として、象徴性を持たせた外観で完成した。この第1期工事は大正15年4月の起工で、竣工が昭和2年3月。1号館のある街区には2・3・4号館があるが、2号館は第1期工事になるかもしれない。3・4号館は第5期で、昭和4年3月30日の竣工。
参照:『同潤会のアパートメントとその時代』(鹿島出版会、1998年、3,300円)



1号館、清州橋通り側。白河3-4。1991(平成3)年6月16日



1号館、三ツ目通り側。白河3-4。1991(平成3)年6月16日


1号館、階段室。白河3-4
1991(平成3)年6月16日

1号館は大通りに面しているので全面的に4階建てで、1階は店舗。建物の特徴は角の円筒形の階段室、階段手摺のアールヌーボー風の支柱、階段室屋上の円柱が支える円形の屋根、といったもの。
1号館の横や裏手に2~4号館があることなどは、撮影時には知らなかったので写真を撮っていない。次に撮影に来たのは2003(平成15)年1月で、1~4号館が取り壊された後だった。

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