ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




塩栄青果店。千代田区神田多町2-6。1987(昭和62)年12月31日

一八通りと多町大通りが交差する多町2丁目交差点を西から見ている。写真左からサカエヤクリーニング店、大信不動産、塩栄青果店の古い建物は今も残っていて、空襲での焼失を免れたこの辺りの戦前の町の様子をかろうじて伝えている。この写真では右端にまだ看板建築が見えているが、その建物を撮っていなかったので、この写真で言及しておく。
写真右端の「賀茂鶴」の看板が「しげ福」で、飲み屋だろう。その手前が「傘長」。傘長は手書きで扇子や提灯に江戸文字を書く店で、創業は嘉永5(1852)年という。番傘に字を書いていたのが屋号の由来らしい。多町の歴史を語るには欠かせない店であるようだ。
「まちブログ―神田周辺(2009.12.05)」は傘長が日本橋丸善で行なったイベントを紹介した記事だが、昭和8年の「神田仲通り街路灯建設記念」絵葉書が載っている。神田仲通りとは今の一八通り。その写真では傘長の看板は「傘」の一文字のようだ。傘長の手前の看板建築の家は薬屋である。


左:清栄内装。神田多町2-6。1988(昭和63)年8月14日
右:古賀酒店。神田多町2-4。1988(昭和63)年8月14日

左写真は塩栄の隣の「室内装飾・清栄内装」。右写真は清栄の向かいの辺り。砂場、古賀酒店、茂里屋パン店とも今も健在。茂里屋は元は下駄屋だったようだ。古賀酒店と茂里屋の建物は建替えてはいないが、正面は改装されている。

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