goo blog サービス終了のお知らせ 
ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




第一勧業銀行浅草支店。台東区蔵前3-21。1987(昭和62)年10月4日

春日通り(写真右)と江戸通り(写真左)の厩橋交差点の角にある。現在のみずほ銀行浅草支店で、別に蔵前支店が蔵前4丁目にある。
銀行建築は古典主義様式の系統が多いが、こちらはロマネスク風といえるだろうか。『日本近代建築総覧』では「建築年:S5、構造:RC3、設計・施工:清水組、S30,44改築」。



江戸通り側の側面。1992(平成4)年5月2日


みずほ銀行浅草支店
2008年(平成19)年3月2日

これが建物の現状。表面をパネルで覆って古いファサードを隠している。みずほ銀行になった時に改装されたのだろうか。大江戸線の蔵前駅の出入り口をこのビルに造ったから、そのときに外壁の改装もしたのかもしれない。建替えに備えて、保存運動が起こらないようにカムフラージュしたのかと疑っている。

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )




左:民家。台東区小島2-6。1988(昭和63)年12月31日
右:今西自動車販売。小島2-7。1987(昭和62)年6月7日

台東区立小島小学校(現台東デザイナーズビッレジ)の南に小島公園がある。今回の写真の家はどれもその公園の西端から見渡せる場所にある。どれも現在も残っている。
左写真の家は2階正面をパネルで覆ってしまった。
右写真の家は「今西自動車販売」の看板は消してしまったが現在も壁を塗りなおしてきれいに使われている。




上:東興造機工業(右)
小島2-10
2003(平成15)年11月16日

左:上の写真左の出桁造りの家
1992(平成4)年6月6日

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





浅井精米店。台東区小島2-3。1988(昭和63)年12月31日

小島1丁目と2丁目の境になっているわりと広い一方通行の通りである。小島2丁目3番地の東の端から、その通りに面した3番地のほぼ全域が写っている。写真左端のビルが清洲橋通りのほうにある海老原包装ビル。その右へ、手前角のジョインまで商店や印刷屋、民家などが並んでいる。現在はビルに変わったり、取り壊されて駐車場になっていたり、まだ残っていたり、といろいろである。
写真中央の白い看板建築が浅井精米店で、今も同じ建物のままで商売を続けている。



写真左が1枚目の写真左の海老原包装ビル。写真右の白い家が手島紙工で建物今も変わっていない。小島2-3。1986(昭和61)年4月6日

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )





清洲橋通り裏。台東区小島2-4。1988(昭和63)年12月31日

オザワ工業の角を北へ入ったところで、清洲橋通りの1本東の裏通り。写真中央の四つ角を右へ曲がるとマース製作所がある。奥のビルは春日通りに面した田原屋のビル。このビルの前に都営地下鉄大江戸線の新御徒町駅が2000(平成12)年12月に開通している。
写真左手前は今、「センチュリーハイツ御徒町モダニカ」という2004年3月に完成したマンションになっている。



タイトー通商。小島2-5。2005(平成17)年4月9日

1枚目の写真で右手の「辨天堂」の看板があるほうの街区。こちらは現在も古い家が残っている。手前角の家が1986年の住宅地図に「タイトー通商」となっている家。今はたぶん変わっていると思う。辨天堂の看板がなくなっているがネット検索すると製版業で出てくる。写真左端の青い家は1枚目の写真で「中島紙裁所」の看板を出している家。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





岩崎機械製作所。台東区小島2-4。1988(昭和63)年12月31日

写真左は清洲橋通りで手前の道路は小島1丁目と2丁目の境になっている。姫の湯の前から撮っている。写真左上の「特殊鋼、ハガネ」の文字が読み取れる袖看板は、岩崎機械製作所の隣の「東和ハガネ」かもしれない。写真右端の3階建てのビルは1986年の住宅地図では「がんこ」、その隣に写真左よりの街灯にある「金伸」だが下の写真ではすでになくなっている。
現在はビジネスホテルの「ホテルフォンテーヌ上野」に変わった。開業は2000(平成12)年7月。



オザワ工業東京営業所。小島2-4。1988(昭和63)年12月31日

写真左端のビルが1枚目の写真右端に写っているビル。外壁の銅板にしわがよっているのが見える。銅板張りというと小さい片で模様に仕上げることが多いが、銅が膨張しやすいという理由もあったのかもしれない。
現在は建て変わったがやはり3階建てで、同じ規模で置き換わったかのようだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




左:マース製作所。台東区小島2-12。1992(平成4)年6月6日
右:民家。小島2-4。1988(昭和63)年12月31日

左写真は清洲橋通りから東へ、小島公園の南を通る横丁に入ったところ。マース製作所の看板建築の家は現在はビルに建て替わっている。写真右端に下の写真のエドワードフジヤの建物が写っている。
右写真のほうは清洲橋通りのすぐ裏にあった看板建築の家。割と大きいベランダに惹かれて撮影してしまったらしい。


エドワードフジヤ
台東区小島2-11
1987(昭和62)年6月7日

この建物は現存している。建物の左右で窓の配列などが異なる。改装して現在の形になってしまったのだろう。縦長の窓が左側の2階と右側の3階にあるから、元は2・3階はこの形の窓だったと思える。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




石井硝子、セブンシャツ。台東区小島2-11。1992(平成4)年6月6日

清洲橋通りから東へ、小島小学校のほうへ入った道路に2棟とも現存している。1986年の住宅地図では「石井硝子」と「セブンシャツ」だが、写真では石井硝子の家は住居に見えるから廃業したのかもしれない。出桁造りの商家の1階部分はガラス戸の引き戸でその中は前面が土間になっているのが普通だが、それを住居に改造したのだろう。セブンシャツの家は現在ではやはり廃業したようで、1階はガレージにしている。その家の右の家はやはり現在もそのままで、前記の地図では「小池革スキ所」。



ハマダ印刷所。小島2-12。1992(平成4)年6月6日

1枚目の写真と同じ道路で、1ブロック西のところ。看板建築にした3軒長屋で、現在もまったく写真のとおりである。古い航空写真を見ると、長屋は左右にもっと長かったような感じだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





風間商店。台東区小島2-19。1988(昭和63)年12月31日

春日通りから小島小学校の方へ入ったところで、写真右手前に小島小学校がある。塀に「建築計画のお知らせ」がかかっている。建物は戦後のものでそれほど興味を引かれたわけではないが、なくなってしまうとなるとついカメラを向けてしまう。



桜湯。小島2-19。1992(平成4)年6月6日

1枚目の写真で左の角を左へ入ったところにあった銭湯。入口は唐破風の飾りですぐ銭湯と分かる造りだ。
このあたりでは小島2丁目14~16とその南の10~13番地を分ける道路を境に、その道路の北側が空襲で焼失したようだ。昭和22年の航空写真ではこの銭湯はまだ建っていない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





サカモト煙草店。台東区小島1-13。2005(平成17)年4月8日

小島1丁目の地域のちょうど中心辺り。4軒長屋といっていいのか、4軒の店が入った集合店舗だ。トタンの壁は錆が浮き出てきていて塗装し直したほうがいいように思うが、被写体としては古さが出ているほうが面白い。
煙草屋の角に床屋の看板が出ている。店の横の下にタイルが貼ってあるが、床屋だったときの名残かもしれない。煙草屋の左は「寿司哲」だった店。今は店の造りを取り払って車庫にしている。


三和防錆、岡崎光英堂。小島1-13
1987(昭和62)年6月7日

1枚目の写真で左(北)へ行ってすぐ右へ折れたところ。写真右のモルタル塗り看板建築は四軒長屋で現存している。今は「三和防錆」の看板はなくなっている。その左の建物は「岡崎光英堂」。今はタワー駐車場になっている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






三ツ輪呉服店。台東区鳥越1-21
上:1989(平成1)年1月29日
左:1986(昭和61)年4月6日

上写真左手の道路は鳥越おかず横丁の裏通りのひとつ。清洲橋通りに近い辺りである。昭和初期に建てられたと思われる看板建築や日本家屋の商家が並んでいる。通りの向かいも同様で、現在もこの家並みはあまり変わらない。
三ツ輪呉服店の家は、現在では看板を下ろして民家として改装されている。ベランダのある日本家屋の家は、そのベランダの手すりが鉄だかアルミのものに替えられた。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »