福井利佐blog

切り絵アーティストの日々

「黒塚」で福島県は二本松へ1

2017年07月23日 | お知らせ(個展・ワークショップ他)



初福島してきました!


私が東北へ行ったのは、青森県立美術館が出来た時だから
2006年!

11年前ですねー。


その頃は新幹線も青森まで行ってなくて

いろいろ乗り継いで、

札幌へ飛行機で行くより、よっぽど遠いところだと感じたものでした。



しかし、今は違う!!!





東海道線の白い車体ばかりしか見慣れていない私には





ものすごくカラフルで、賑やかな感じがします。




2階建てとかもあるのね〜。


中に乗ったら自由席も広々で、



指定席かと何回も表示を見直しましたよ。

(夏休みに入ったのもあり指定席の窓側全て埋まっており、
指定席買いつつお外が見たいので自由席に並んでみたら
余裕で座れたのでーす!)



そして郡山で東北本線に乗り継ぎ



二本松へ〜。




秋の芸術祭に向けての下見です。



ご案内くださったのは芸術祭実行委員の福島大学の渡邊晃一さん。


お声がけいただきありがとうございます!!!!




駅降りてすぐに少年兵の像があり

「二本松少年隊」とありました。




そしてこちら。



霞ヶ城。

本丸は無いものの、櫓門はあり、きれいに保たれていました。






二本松少年隊群像と指揮官、我が子の出陣服を仕立てる母の像。


切ないですね・・・。


少年隊は福島というと会津の白虎隊が有名なのですが
その子たちより、もっと若い年齢の子たちで
白虎隊が自決したのに対して、彼らは戊辰戦争の戦場で戦い散っていったとのこと。



(ジャニーズの「少年隊」って何?ここからきてるの?そうだとしたら何故そのネーミングにしたのか謎です・・・。違ってほしい。)

(ネーミングつながりで、先日来たイタリア人たちが日本の女性ファッション誌「non-no(ノンノ)」も
「ノンノ」はイタリア語で「おじいさん」なので、
なんでそのネーミングにしたのか謎?と言っていた。おそらく答えはフランス語だと思うのですが。笑)




お次はこちら






「智恵子抄」で有名な彫刻家 高村光太郎の妻 智恵子の生家。



記念館になっております。





大きな作り酒屋さんだったのですね〜。





酒屋さんといえば「杉玉」。



立派な杉玉です。



ご存知のように、智恵子さんは晩年、精神衰弱に陥るのですが
その原因の一つが
実家の衰退です。



こちらはすでに人手に渡っていたのですが、

きれいに保たれており、こうして記念館として観れるのです。



すばらしい。






智恵子さんの幼少期に引いていた立派なお琴もあり、名前入り。

こちらも人手に渡っていたものでした。





蓄音機とかもあって、隆盛期の凄さが伺えます。




智恵子さんは亡くなる前の数年は切り紙をされていました。


私も、うーん約20年近く前でしょうか

智恵子さんの切り紙の展示があり実物を見ています。

今となっては貴重な展示です。
(紙の色があせるので、記念館での展示も写真です。)


その頃の智恵子さんはもう深く深く自分の世界に入られていたので、
最愛の夫であり想い人の光太郎だけに見せるために制作していたとの事。


ですので、作品は作為がなく
とても清らかで純粋な切り紙です。

しかし、もともと油絵を学んでおり
平塚らいちょうさん率いる「青鞜」の冊子の表紙絵を始め、
女性アーティストとしてご活躍だった 時代の先端をいくセンスは
素朴な切り紙の中にも色濃く反映されており、
智恵子さんだけの世界観を作り上げているのです。


(一時期「智恵子抄」にもはまり、智恵子さん自体にもハマった口です。)






二本松の2大要素は

「智恵子」と「黒塚」という印象でした。



後半は


ついに来ました、


鬼婆伝説の「黒塚」へどっぷり参ります・・・。






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