市立四小近くの裏通りに堂々とした和風建築の医院兼居宅があった。南側は2階建て、北側は3階建てだったが、どちらが医院として使われていたかの記憶は定かでなくなっている。
豪壮な外観はこの小地域の立派なランドマークであったが、いつしか医院は廃業となり、建物も解体されて、今ではただの殺風景な平面施設、つまり駐車場と化している。
この写真も約30年前のもので、ポスターとか板塀の上のビニール製のような囲いが外観上少し気になるが、ガラス窓の意匠も芸術性豊かで、木造主体の和風建築もこんなに重厚なものかと圧倒される感じである。
しかし、いかに堅固な建物も老朽化すれば維持補修は困難であり、窓一つすら旧来型のものは補修も復原も至難である。これが日本の古い建造物をめぐる現実である。
これに対して欧州では「古い建物も残すのが当たり前」となっており、街中が文化財的建物だらけである。この日本と欧州との大きな差異はどこに由来するのか。また、古い建物の解体後の跡地の多くが駐車場にしかならない傾向にも歯止めがかけられないものか、「街並み景観」を考える上で大きな課題である。
※注 今日の記事は他にもう一件あります。
豪壮な外観はこの小地域の立派なランドマークであったが、いつしか医院は廃業となり、建物も解体されて、今ではただの殺風景な平面施設、つまり駐車場と化している。
この写真も約30年前のもので、ポスターとか板塀の上のビニール製のような囲いが外観上少し気になるが、ガラス窓の意匠も芸術性豊かで、木造主体の和風建築もこんなに重厚なものかと圧倒される感じである。
しかし、いかに堅固な建物も老朽化すれば維持補修は困難であり、窓一つすら旧来型のものは補修も復原も至難である。これが日本の古い建造物をめぐる現実である。
これに対して欧州では「古い建物も残すのが当たり前」となっており、街中が文化財的建物だらけである。この日本と欧州との大きな差異はどこに由来するのか。また、古い建物の解体後の跡地の多くが駐車場にしかならない傾向にも歯止めがかけられないものか、「街並み景観」を考える上で大きな課題である。
※注 今日の記事は他にもう一件あります。