清水多嘉示には関心があった。
津高で森谷画伯(本人がそう呼べと言ってたっけ)に教えを受けた頃に、清水多嘉示の話が出た。森谷画伯は滅多に人を褒めないが、けなすこともなかった。そんな画伯がなぜか、清水多嘉示にはよい印象を持ってなかった。「画伯は『白装の娘』を気にいらないんでしょ」と聞くと「なぜ分かる」「だって鼻の線がきつすぎる。画伯の言うところの本質を捉えるという意識から逸脱してますよ」「彫刻はどう思う」「彫刻は守備範囲じゃないんで分かりませんけど、裸婦像が多いですよね。高校生には刺激がきつすぎますよ」「俺も月に一度くらい、モデルを招いて裸婦を描いてるぞ」「うらやましい限りです」
俺が高校生の頃、清水多嘉示は日展の顧問に就任。後に文化勲章を受章する。画伯からすれば、2世代ほどの先輩だが闘争心をかき立てる存在だったのかもしれない。
そんな清水多嘉示、長年そっちのほうから遠ざかっていた俺は名前すらも忘れていた。しかし、旅行のために八ケ岳を検索しているうちに、『八ケ岳美術館』に目を止めた・・・清水多嘉示は地元の原村の出身だと初めて知った。パンフの中に『白装の娘』、半世紀ぶりに目にした。

小雨のなか、美術館に続く小道を歩いていると・・・これは諏訪湖のどこかのホテルの前で目にしている。そうか・・・清水多嘉示の作品だったのかと合点する。

美術館前。

やはり裸婦像が圧倒的に多い。しかし少ないものの男性のものもあった。

これにはちょっと震えた・・・全盛期には女性のなかに躍動感を見い出したことがモチベーションに繋がったのだろうが、遺作ではあるがこんなんも造ってたんや。自分と照らし合わせて、生命の行きつくところもまた晩期のモチベーションとなったのかもしれない。
画伯がご存命なら、ぜひこの遺作の感想を尋ねてみたい。

近くにある八ケ岳自然文化園で昼食をとった。
眺望がすばらしいらしいとレヴーにはあるが、今日はあいにくの雨。たぶん雲の向こうには八ケ岳が広がっているんやろな。
菜月のお母さん、ぜひ一度「八ケ岳美術館」を訪問されたらいかがでしょうか。亭主(8期生・勇希)は近くの自然文化園にある遊具ででも遊ばせておけばいいですよ。