ラーメンツーリング

神奈川のラーメン屋をバイクで走りまわり、色々なお店のラーメンを紹介します。
時には温泉やバイクや旅のグルメ話なども。

簿外ラーメン 六角橋「親方」

2011-01-20 | 閉店ラーメン店
最近重要度の高い交通違反をしていないので、六角橋に用事が無く全く知らなかったけど、
六角橋の「親方」が閉店したらしい。

そう聞いてもそれほどショックな訳では無いのだけれど、あの元気な女店員さんは
どうしただろう?っていう感じ。
「親方」に初めて行ったのは2006年かな?
如何にも関西風の派手なラーメン屋だなあ!というのが第一印象で、味の方は覚えていない。

多分2000年ごろ出来た店では無かったろうか?と思うのだが、二度目に行ったのは
初回の一年後、レイアウト的に居心地の悪い店だった。
店が三画地にあって建物自体が台形だからか、何だか斜めになって食べる感じだし、
トイレが2Fとあって、何だかその下で食べているという感じで精神衛生上落ち付かない。
そのせいかラーメンにも余り好印象がなかった。

味的には京都ラーメンという事だが、見た目「天下一品」のようにドロドロしているわけでも、
「よってこや」の様なとろみも無く、「新福菜館」のように黒い醤油でも無い横浜では
珍しいというか、馴染の無いスープ味。
確か、この店は鶴見市場にもあった気がするが、そちらは大分前に閉店している。
六角橋の店は何時閉店したのか知らないが、横浜人は新しい味を簡単に受け入れてくれる
素直な人種だけれど、その代わり飽きっぽいから余程合わないと定着は難しいのかな。


 神隠しの町 横浜市南区前里町3-69

2010-12-28 | 閉店ラーメン店
横浜市南区前里町3-69
かつてここに不思議なラーメン店が“存在した?”。

「風の子」というラーメン店、実はこの店、いつからあったのか、いつなくなったのか、
その辺すら記憶にない。
まるで幻、もしかしたらその存在自体が、実像ではなかったのか??
多分、多分ではあるが、1998/04ごろに行って喜多方風の縮れたやや太めの平麺を食べた気がする。

処がその次に行った時は「吉実家横浜店」となっていたが、その時はそこが「風の子」とは思わなかった。
そして、その次に行った時は「駿家」となっていたが、その時もそこが「吉実家横浜店とは気がつかなかった。
時系列的に追うと「吉実家横浜店」が存在したのは、わずか二ヶ月? いくらなんでもそんな事は・・??

多分2000/11月頃になって南区前里町3-69という場所が、若しかして霊界の住処なのではないか? と思った。
その後知ったのだけれど、「駿家」の前に「村八」という店もあったらしく、益々南区前里町3-69は怪しい。
その「駿家」も今はないらしい。
いつなくなったのか、知るのもちょっと怖いけど、2002年の5月ごろらしい。
2005年の5月ごろ通った時はシャッターが下りていて“貸店舗”の張り紙がしてあった。
其れに前後して「龍家」という店が有ったのだが、その「龍家」も消えた。

まるで神隠しにあった様に、数々のラーメン屋が忽然と消え去って行った。
その後、前里町3-69はどうなったか? 一寸怖くて近づかないので知らない。

簿外ラーメン 横浜橋の「とんぱた亭」

2010-12-19 | 閉店ラーメン店
最近、テレビでのB級グルメの番組で紹介していた横浜橋の「酔来軒」に行った時、
気がついたのだけれど、
”あれっ、とんぱた亭が消えている!”って感じ。
場所の記憶違い?? かと思ってその周辺を往復して見たのだけれど見つからない。
何だか、キツネに抓まれた感じで帰って調べたら、どうやら閉店した感じ。
当に”ありゃりゃ!”という何とも悲しい思い。

確かに「とんぱた亭」には久しく脚が遠のいていたけれど、横浜では結構知られた店だった。
タイプとしては家系豚骨醤油、それもかなり濃厚なのに何故か中太ストレート麺、
酒井製麺だったから、家系の味ではあったけれど、”家”の名も付いていなかったから
”家系”では無かったのかも知れない。

昔、酒井製麺のお兄ちゃんに、”ウチは家系しか納めない”という話をきいた。
それはどうやら、「吉村実」の厳命だったらしいのだが、何故か「とんぱた亭」は酒井製麺だった。

個人的な味の好みとしては、そんなに好きなラーメンでは無かったけれど、
店内はとても綺麗(清潔)で、家系らしからぬ外装も気に入っていたし、
種類もあって楽しい感じだった。
「とんぱた亭」は、片倉町に本店があったけれど、そちらも閉店してしまったのだろうか?

何れにしても、かつては横浜では知られた店が無くなってしまったのはとても寂しい。


簿外ラーメン 下永谷「やみつき家」

2010-12-06 | 閉店ラーメン店
下永谷のラーメン激戦区にあった店。

ここ最近、環状2号を走って、なんとなく見過ごしていたのだが・・
というより、新しい店が出来て、あれ? 此処、前何だったのだろう?とは思っていたのだが、
まさか其処が「やみつき家」だったとは!!

それにしても、一寸脚がはやすぎない?
何だか時計が三倍速で回っている感じ、夢見ているのか、錯覚しているのか? って感じ。
ここの店の初代(だったと思う)は「寺田家」、本店を清水橋に移した頃から、がくんと味が悪くなって、閉店。
次代は、「麺屋 道楽」、やや線の細い店だった。
で、三代目が「やみつき家」だと思う。
今年の2月ごろオープンしたと記憶するが、秋にはもう閉店していたという事?

「やみつき家」というのはチエーン店だったのだろうか?
平戸桜木町道路の黄金町にも5年位前にオープンした店が有ったけど、そこも結構代替わりが多かった。
初代は知らないけれど「風の子」という店があった所、その後かなり代替わりして、
「龍家」になって、その後が「やみつき家」だった気がする。
何れも家系、或いは亜流家系だたので、或る意味では色々家系が楽しめた訳ではあったけど。

下永谷の「やみつき家」も家系と言えば家系だけど、「壱六家」とか「吉村家」とは
かなり違う家系で、それはそれで美味かった。
基本的には三種類の味があって、”黒やみ”と呼ばれるマー油のラーメンが売り物。
結局、二種類しか食べて無い内に閉店、なんだか”キツネにつままれた”みたいな気分。
黄金町のほうは健在なのだろうか? 

下永谷の「やみつき家」、ちょっと珍し系の家系だったので一寸残念。
跡地は現在は何屋だかよく分からない”食堂”、まあ、定食屋もあっていいと思うけれど、
イマイチ売り物がはっきりしないのでチョト心配。
いずれにしても、下永谷の激戦区、相変わらず「環2家」が一番人気という感じ。

簿外ラーメン 港南清水橋の 「ひまわり亭」

2010-11-18 | 閉店ラーメン店
ラーメン食堂 ラーメン:★不明 (訪問歴:1回)

簿外理由は閉店、比較的最近抹消した店でだけど、かなり前から見かけていた店。
はっきりとは分からないけれど、バブルの頃から有った気がするのに行ったのは多分3,4年前だから、
それほど関心が無かったという事になる。
行ったのも「よく通る道だし、一応此処もクリアーしておかなくちゃ」という感じ、関心を持って行った訳ではない。

正直な処、客が入っているのを見た事が無いという位に何時も空いていた。
偶々通る時間がそういう時間だったのだろうけれど、超・行列の出来ない店という感じ。
個人的には行列の出来る店より出来ない店の方が好きなのだが、それにしても空いていた。

メニュー的には、ラーメン、札幌塩・味噌・正油、九州ラーメンという感じだったと思う。
食べたのは普通のラーメン、やや細、やや縮れの麺にあっさりしょうゆのスープ、具的には
チャーシュー、メンマ、なると といった極々普通に普通のラーメンという感じ。

港南台から下永谷に掛けての一帯は醤油豚骨の店が多く、普通のラーメン、札幌ラーメン、九州ラーメンの
店が少ないという意味では貴重な存在だったけれど、何せ特徴が無さ過ぎたという感じ。
個人的にはそういう無個性なラーメンも嫌いじゃ無いけれど、大衆動員力は無かったかも。

簿外ラーメン 三浦海岸の「一喜」

2010-11-04 | 閉店ラーメン店
中華料理 叉焼麺:★? (訪問歴:初)
(三浦海岸では一番美味い店とおもわれ(た)店)

此の店もラーツー記録から削除された店。
削除理由は多分路面店ではかなかったから・・と思われるけど、削除は早計だった。
階段上がったらラーツー対象外となると、下手したら戸建でも246の「厚木家」なんかも対象外になりかねない。

「一喜」の場合、ビルの中と言ってもスーパーの二階、表の階段を上るだけだからラーツー対象でもいい気がする。
その後に”閉店”になってしまったから、どの道削除の運命だったのかも知れないが、
最近削除作業が面倒で放置したままの記録もある事を思えば、いいラーメンだっただけに消去はもったいなかった。
然しまあ、幾ら美味かったラーメンでも、もう存在しないラーメンでは残しても意味がない。

此の店は佐原の「塩や」の親店、「一喜」に前後して「塩や」も閉店したらしいから、閉店そのものに
何か関係があったのかも知れないけれど、この店の方は現在「MOON」と言う名前で営業しているらしい。
経営が変わったのかどうかは分からないけれど、情報によると「一喜」の人が作っているらしいから、
若しかしたら「一喜」の味が伝承されているかも知れない。

簿外ラーメン 佐原(横須賀)の「塩や」

2010-11-04 | 閉店ラーメン店
専門店 塩:★不明 (訪問歴:??)
(横須賀界隈では最も塩ラーメンの美味しい店の一つ(だった))。

此処の店もラーツー記録から抹消した店、理由は明瞭、”閉店”に拠るもの。
然し、消すには余りにも惜しい店だった。
場所的には横横道、佐原ICを出て右に行った直ぐ、急ぐ時は横横道、腹が減っていない時は下道で・・
という具合に時間調整しながらも、目的地を明確に定めて通ったという具合のいい店だった。

店の名前が“塩”なので一応“塩”がオススメという感じ、店内には、各国の自然塩が
ビン詰めになっていて置いてあったりして、塩に対する”拘り”は寧ろ”執念”としか思えない程変な店。

店の名前が“塩”だから”塩”しかないかと思いきや、一応、“醤油、味噌”もあった気がする。
普通、初めての店に行く時はノーマルのラーメンを食べる習慣があるのだが、この店の場合は塩がノーマル、
次回は醤油をと思っているのに毎回塩、今度こそと思っている内に”閉店”、とても残念。

昔、上大岡の「いま村」が閉めた時も、とても残念だったけど、その後関内に復活した。
その関内も閉店したという噂があるけど、また何処かで復活するのではないかと期待しているのと同じで、
是非復活して欲しいと期待している店。

出来れば、あの頃の店の可愛いお姉ちゃんも一緒に復活して欲しい。
若いのに店主がいなくても二人で切り盛りしていたあの”働く美しさ”が忘れられない。


簿外ラーメン 天王町「むつみ家」

2010-04-13 | 閉店ラーメン店
天王町の「むつみ屋天王町店」が閉店した?感じ・・張り紙によると近日新店舗オープン(?)という感じもあるのだが・・。
「むつみや」が新しいブランドの店をだすというのならいざ知らず、旧態のままリニューアルというのは一寸考え難い。

此処は何時から開業したのか知らないけれど、2000/09/25には既に存在していた。
ログハウスっぽい内・外装はまだ新しい感じだったけれど、店内の掃除は全然されてなく、
埃だらけというのが最初の印象。

味的には、井戸ケ谷の「むつみ屋」とは雲泥の差、溝の口の「むつみ屋」と比べたら
月と鼈、まるで話にならない味だったけれど、まあ、何とか家族位はごまかせるという感じ。

「むつみ屋」と言えば、打倒宣言で有名になった店だけど、一寸家系を舐め過ぎ!
確かに井戸ケ谷とか溝の口は美味かったけれど、横浜で”打倒家系”は十年早い!!
という感じだった。

その後、天王町の「むつみ屋天王町店」は益々精彩を欠いて、味もサービスも劣化の一途。
最後の頃は、オバチャンが一人で一生懸命?やっていたけれど、本部からのレシピーが
消化出来ないのか、味は粗悪を超えて、殆ど”悲しいラーメン”という感じだった。

「むつみ屋」は会社機構だから出店も早いけれど撤退も早い。
それにしても10年も続いたのは、或る意味驚きの店だった。


思い出の店 相模大野「サガミ飯店」

2007-12-07 | 閉店ラーメン店
相模大野の住人丹下左膳に彼女?のEEKOさんを紹介された店だが、去年の夏に無くなってしまったらしい。
大野銀座の福永軒とともに相模大野を代表する中華料理店だとの事で左膳の自慢のお気に入り店だったらしく、
店の奥の畳の部屋で3人でたらふく飲んで喰った思い出があるが、伝統的な中華料理を楽しませてくれたいい店だった。
どうして閉店したのか等は知る由も無いが、相模大野が大きくなりすぎてしまったせいではないだろうか。
押し寄せる都会化の波に揉み消されてしまうには惜しい店でとても残念に思う。

因みに左膳はEEKOさんとはどうなっていのだろう?「サガミ飯店」を忍んでもう一度3人で飲みたいものだ。


ラーメン屋の「貼り紙」

2007-08-31 | 閉店ラーメン店
たまに張り紙を見かけることがある。

一番多いのは「準備中」「仕込み中」、これは立て札だが、
この場合は「糞! もうこんな時間だったか」と自分のドジさを罵る。

次に多いのが「定休日」「休業日」
この場合は「糞! 態態此処迄来てやったのに」と店を罵る。

たまにあるのは「都合により・・・店主」
この場合は「えっ、どうしちゃったの」と店主の顔を思い浮かべ悲しむ。
移転したのなら其処に行けばいいから罵ることも悲しむことも無いけれど、消息不明だと、
なんだかブルーな気分で其の日一日過ごすことになる。
特にスキだった店の場合はショックが大きい。
まるで好きな彼女に振られた時の様に心傷が長引くこともある。

簿外ラーメン 上中里の「いっぱつ家」

2007-06-13 | 閉店ラーメン店
「上中里の「いっぱつ家」が2007年5月31日で閉店したらしい。

コンテナーハウスのラーメン屋という感じで、結構衝撃的な店だった。
店主(らしき人)は一見族出身という感じだけれど、湘南プレイボーイだったのかも知れない。
店の前にデコレーションでボードが飾ってあったし、年内も木目の海小屋仕様、
どこかのいいところの坊ちゃまで、サーファーだったのかも知れない。

ラーメンそのものは、”(家系+ショップ系)÷2”という感じのちょっとクセがあり脂っこいスープだけれど、
看板的には如何にも「たかさご家」系といったカラーリング。
只、満は長多屋製麺だたから、要するに”何が何だか分からない系”のラーメン。

それはそれでいいのだけれど、まるでやる気が無いというか、趣味でラーメン屋をやっている感じ、
それも懸命にやっているのならいいのだけれど、まったく遊び半分、TVを大音量で鳴らして、
TVを見る片手間にラーメンを作っていいる!という感じの極めて不真面目さんだった。

店の雰囲気は面白かったし、店のオバサンも感じがよかったけれど、ラーメンそのものは
客をバカにしている感じ、
まるで冷凍庫から出してきたかの様な冷たいほうれん草とか味玉子とか、おまけに超温いスープ、
TV見ながら作っているのだから、入魂!ってモードはまるでゼロ、真面目に食べに来たのが腹が立つという感じの店だった。
Mail From HIDE さん  2007/06/10

横浜市磯子区にあった「いっぱつ家」が5月31日で閉店しました。
個人的にはチャーシューが大好きで、”1本売り”とかしてもらってたのに・・。



簿外ラーメン 桜木町「「サクラギ大将」

2007-01-23 | 閉店ラーメン店
桜木町の「サクラギ大将」が、閉店したらしい。
そう言えば、石川町駅前の「ラーメン大将」もいつの間にか無くなっている?感じ。
「サクラギ大将」と「ラーメン大将」の関係はよく知らないけれど、似た様な名前だし、
関係が有ったのかも知れない。

「サクラギ大将」のラーメンは正直云って、そんなに美味いとは思わなかった。
寧ろ釜利谷の「サクラギ大将」の方がよかった気がするけれど、今思うと釜利谷は
「サクラギ大将」では無く「釜利谷大将」だったのかも知れない?

「サクラギ大将」のラーメンはトンコツのみのスープ、味は濃いが,コク・旨味に欠け、
くどい印象が強かった。
それと麺の湯切りがほとんどなされず,水っぽいし、麺とのからみも悪かった気がする。
麺そのものは悪くなかったけれど、矢張りトンコツのみのスープという処が問題なのか?
スープの表面はかなり分厚い脂に覆われて、異様にキラキラと光っていて、とてもじゃないが
脂”普通”では無理、醤油ダレが強く効き過ぎで、しかもボディーは軽くてコクも無くかなりスカスカ。
麺はよかったのだけど、個人的にはあまり好みでは無かった気がするが、「ラーメン大将」というのは
フランチャイズなのだろうか?
その辺は知らないけれど、釜利谷の好印象と対照的なラーメンだった。

南町田のラーメン屋 「せん吉」は

2006-07-21 | 閉店ラーメン店
246と16号の交差点近くに家庭栽培やっている親戚がいて、その関係もあって
この界隈はよく知っているつもりだったが、この店は知らなかった。

地図的には旧16号との交差点であり立地条件としては分かり易い場所だが、
246が高架線になったため平道にあるこの店は実走では分かり難い。
通行量が少ないせいか行ってみたら「休業中」だった。

TVの第五回ラーメンチャンピオン優勝という立石ケンジの写真が貼ってある。
プレハブ屋台みたいな作りは大いに気に入ったけど「「休業中」とは残念。

□ 境木の中華食堂 「慶幸樓」

2006-01-30 | 閉店ラーメン店
中華料理 (訪問歴500以上、出前含む)
(神奈川で一番多く食べたラーメン)

この店は500回は越えていると思う長い付き合いの我が家の第二厨房。
味の方は我が家と同じく、これ以上不味い味は世間に無いと思うほど不味いが、週に一度は食べたくなる不思議な味。
特に餃子は「二度と食べないぞ」と思いながら毎回注文してしまう。

この店の凄いのは出前の迅速さ。電話を切ったと思ったら直ぐに玄関のチャイムが鳴る。
それでも既にデレデレに伸びている。
絶対に注文する前から出来ていたのだと思う程巨大に膨れあがったラーメンが又いいんだなあ。

2006-02-18、 何時もの様に出前の電話した。
「はい、「慶幸樓です」という何時もの若いオニイチャンの声がしない代わりに
「この電話はお客様の都合により・・・」のテープが・・・、「げえっ! まさか!!」。

情報募集中 「吉吉」

2005-12-21 | 閉店ラーメン店
環2のラーメン集落に昔あった店で、場所的には現在「壱鵠堂」がある所だと思います。
味的には余り「美味かった!」という記憶は有りませんが、当時としては珍しい味(太麺使ったあっさり味)で、
確か「落頬的プリン」とか言うのが出ていた気がする。
何より当時としてはお洒落度抜群で旧来のラーメン屋のイメージを一掃する様な斬新の雰囲気が好きでした。

若し今もどこかで開いているなら是非行ってみたいのですが、何方かご存知でしょうか?