ラーメンツーリング

神奈川のラーメン屋をバイクで走りまわり、色々なお店のラーメンを紹介します。
時には温泉やバイクや旅のグルメ話なども。

くそ厚い夏の過ごし方♪ 「猿ケ島」

2002-08-26 | バイクの話
久しぶりの猿ケ島、くーっつ暑い!
しかし、このくそ暑い炎天下と云うのに汗と埃に塗れている連中が沢山いる。
しかも、最近女性が増えた。
汗と埃は男の象徴ではなくなった様だ。

更に驚くことは、どの女性も滅茶苦茶上手い。
タイヤで削られた深い溝の中にフルアクセルで突っ込んで来て、猛然と砂埃を掻き揚げて
フルターン、実に見事なもんだ。
見ているだけで喝采ものだが、
考えて見ると男の居場所がドンドンなくなっているのには一寸辛いものが・・・。

髑髏ラーメンの本格レシピー

2002-08-11 | マイ ラーメン あれこれ
★削り節から作る(煮込み一時間)スープの巻

かたくちイワシの煮干2種類(何でもいいが瀬戸内とか九十九里とか)100g
・鰹節、宗田節、鯖節(混ぜた方が美味い)100g・水2升。
イワシの比率を上げたほうがラーメンらしく、逆だと和麺系になる。

豚骨スープ(博多拉麺)に使う場合は煮込みは半分以下でいい。
水出しで作る場合は15時間程度(24時間据え置くと不味くなるので注意)。

山の歌 「一人の山 」

2002-08-08 | 要介護兵の 備忘録
一、山にあこがれ 山に行き
 ことばすくなに ただ歩む

二、山に登りて たたずめば
 たばこのけむり ただひとすじ

三、恋にやぶれて 夢にもやぶれ
 夕日静かに 山にしずむ

四、雪渓すべりて 岩場に登り
 ぬれる岩肌の 冷たさよ


この歌は「一人の山男」という題かも知れない。
何処で覚えたのか覚えていないけど、この歌を聞くと高校時代最後の記念に彼女と行った
憧れの滝谷の紫に煙る残照を思い出す。
滝谷は恐ろしい谷、高校生には無理なので岩棚に二人でチョんと座って沈黙のまま覗き込んでいただけだが、
大学に入れたら登りに来ようと思った。

ただ、中学時代から一緒に登ってきた彼女とはコレが最後の山になると思うと寂しい思いがした。
彼女は同窓生ではなかったから今思えば卒業しても関係ない気がするが、あの時は
新しい生活が始まったら古い友達と別れることになる気がした。
あの時の暮れなずむ滝谷の残照に照らされた彼女の赤く染まった髪、来年からは一人で
登るのかと思うと涙が出そうになるほど悲しい思いがした。


ロシアの旅 「ウラジオストック」

2002-08-05 | 旅と宿坊と温泉お話
北方領土へ行く為にウラジオストックに寄った。
露西亜に行くのはモスクワについで二度目であるが、赤の広場へ行ったのは高校時代、
まだ日ソは国交が無く一般人は入国が不可能な時代だった。

ウラジオストックそのもは10年前のソ連崩壊(1991年)まで、外国人は勿論、ソ連国民でも
市外居住者の立ち入りが禁止という閉鎖都市だったから、今回の訪問は大袈裟に言えば
シベリア出兵干渉軍以来の日本人の一人になるかも知れない。

ウラジオストックはロシア軍とイギリス軍とアメリカ軍が領土侵略の為に凌ぎを削った劇的な街であるが
元々満州帝国の一部だから中国系の顔が多いかと思った。
が、殆ど白系ロシア人の顔ばかりだった。
結局ソビエトが日本との緩衝国としてロシア極東地域に建国した極東共和国(傀儡国家)の時に
流れ込んできた大量の白系ロシア人が、住み着いたからだろう。

この時代に日本がアメリカを牽制しつつロシアを抑え込めていれば、ロシアの裏切りに遇うことも無かったのだが・・。
ウラジオストックの市場、銃を持った浪人が往来する街の中では一番緊張が解れる場所の一つだった。
(2002年7・27(土)-8・3(土):ウラジオの市場にて)