昨日は旧暦8月15日で「中秋」、そして昨夜の月は「中秋の名月」でした。
「中秋の名月」は必ずしも満月とは限りません。
理由は、月の満ち欠けのサイクルが、ピッタリ1か月ではないことなどから、年によって多少ズレます。
一昨年、昨年、今年は3年連続で満月でしたが、来年以降はしばらく「少しだけ欠けた名月」の年が続き、次に満月と重なるのは8年後だそうです。
そこで、まん丸いお月さまを撮影したのでご紹介します。
・「中秋の名月」はちょうど芋の季節なので、その収穫を感謝しお供えすることから「芋名月」とも呼ばれます。(昨夜19時19分撮影)
それに対して、十三夜は「栗名月」と呼ばれます。
これは、その時期に栗の季節であることから呼ばれるもので、今年は10月17日がその日です。
・栗名月と言われる十三夜の月です(昨年撮影)
(参考)
「中秋」と、人偏の付く「仲秋」の違い
「仲」とは中国の呼び方で、3カ月ごとの季節のうち、中の月をさして言われます。
即ち、各季節の初めの月は「孟(もう)」、中の月は「仲(ちゅう)」、末の月を「季(き)」と呼び、秋とは、旧暦で7月、8月、9月を言うことから、旧暦の8月は秋の中の月で「仲秋」となり、旧暦8月の異称として呼ばれているものです。
これに対して、「中秋」は、「仲秋(旧暦8月)」の中心の日、即ち旧暦8月15日を指して「中秋」と呼ぶもので、人偏のない「中秋」はその日だけであり、15日以外の旧暦8月は人偏のある「仲秋」となります。
狂い咲きでrしょうか?
畑の梨とリンゴに花が咲きました。
梨の品種は「豊水」で、既に収獲は終わっている木ですが、先日、枝の数か所に白い花が咲いているのを発見しました。
秋に梨の花が咲くのは非常に珍しい事のようであり、ブログにアップすることにしました。
・これが豊水梨の花です。
狂い咲きかどうか、梨に聞いても答えはナシでした。
そこでネットで調べたところ、開花するまでのメカニズムは次のようになっているそうです。
7月ごろ花芽ができた後に、各葉に「成長抑制ホルモン」が作られ、これが花芽に移動します。そして葉は役目を終えて落葉します。
花芽は例え季節外れの暖かさがやってきても「成長抑制ホルモン」の効果からそのまま冬を越します。
この「成長抑制ホルモン」は冬の寒さによって壊されます。
そして、春を迎えて暖かくなるとぐんぐん成長し、丁度よい時期に開花するのが通常の姿だそうです。
ところが、各葉で作られた「成長抑制ホルモン」が花芽に移動する前に台風などによって大事な葉をちぎり取られると「成長抑制ホルモン」が花芽に届きません。
そこに異常な暖かさがやってくれば、もう春が来たのかと勘違いして開花するそうです。
メカニズムが分かったところでよくみて見ると、咲いている枝には葉がついていないようです。
と言うことは、矢張り、季節を勘違いした狂い咲きだったようです。
同じことが「王林りんご」にも見られました。
こちらにもたくさん花が咲いていたようです。
枝のあちらこちらに花が散った後のガクが残っていました。
・これが季節外れに咲いた我が家の「王林」の花です。
リンゴは未だ葉っぱが残っていますが、虫に食害されているので落葉と同じように「成長抑制ホルモン」が花芽に届かなかったのかも知れません。
花芽はこれからの時期には出来ないことから、秋に咲いた分は来春は咲かず、残った花芽だけが開花することになります。
・赤いものは王林の蕾です。
「クウシンサイ(空芯菜)」と言う野菜をご存知でしょうか?
私の菜園に2~3株植えているので紹介します。
クウシンサイ(空芯菜)はヒルガオ科、サツマイモ属の野菜で茎が空洞になっていることから、中国語で空芯菜(コンシンツァイ)と呼ばれています。
原産地は中国で、日本へは戦後になってから伝わったようです。
東南アジア一帯では広く栽培されており、第2次世界大戦中には、南方の日本軍が、クウシンサイを食べて飢えをしのいだという話も伝えられています。
これがクウシンサイ(空芯菜)です。
クウシンサイ(空芯菜)はいろいろな名前で呼ばれていますが、農林水産省の統一名称では「エンサイ(莚菜)」、日本植物病名目録では「ヨウサイ」となっています。
他にも、カンコン、アサガオナなどと呼ばれていますが、沖縄では「ウンチェー」と呼ばれて栽培されているそうです。
・収獲するとこのように脇芽が伸びてきて、その若芽をまた収穫できます。
「クウシンサイ(空芯菜)」は栄養価が高く、ホウレンソウの約4倍のカルシウム、約5倍のビタミンA、約2倍のビタミンB、ビタミンC、が含まれているそうです。
しゃきしゃきした歯ごたえとクセのない美味しさで人気があり、最近スーパでも売られているようです。
収穫は、
茎の先端20cmくらいの軟らかい部分を切り取って収穫します。
高温多湿を好み、強い直射日光にも耐え、旺盛に生長するので、頻繁に収穫することによって脇芽からの新芽を促し、何度も収穫できます。
調理は、
油いため、おひたし、ゴマあえ、スープ、天ぷら、汁の実などに利用され、その健康効果は、血糖値低下作用や、糖尿病に効果的と言われています。
・これが収穫した先端15㎝~20㎝くらいの茎です。
このように茎が空洞になっていることが名前の由来となっています。
昨日は大型台風18号が日本列島を縦断し、各地に大きな被害をもたらしました。
被災者の皆様にはお見舞い申し上げます。
我が家では建造物の被害はありませんでしたが、菜園の一部に被害が発生しました。
今日は作物の被害状況をアップしました。
「サトイモ」
4~5本倒れていました。 茎が1.5mくらいになっていたので強風に耐えられなかったようです。
「山芋」
畑に溜まった雨水で畝が柔らかくなって支柱が倒れました。
早速、3か所に突っ支い棒を取りつけて補修しました。
「ナタマメ」
これも畝が柔らかくなって倒れました。
2か所に突っ支い棒を取りつけて補強しました。
「胡瓜」
これも雨水で畝が柔らかくなって倒れたものです。
突っ支い棒を取りつけて補強したものの、蔓が傷んでいるので枯れるかもしれません。
「インゲン豆」
収穫目前にして倒れました。
これも2本の突っ支い棒を取りつけて補強しました。いくらかは収穫できそうです。
「ゴーヤ」
ゴーヤの棚は重くて持ち上げることができないので、片づける事にしました。
左手前はキクイモです。これも強風で倒れました。
他にも白菜や小松菜など、芽が出かけた野菜の苗が豪雨に打たれて土を被ったり埋もれたりしています。
猛暑日が続いていた8月は、雨が全く降らず水不足に悩まされた事から、台風でもいいから来てほしいと願ったことがありますが、矢張り、被害をもたらすような台風は来て欲しくないですね。
秋の気配が感じられるようになると家庭菜園でも忙しくなります。
私の畑では、トマトやスイカの畝を片づけた後に、先日、白菜やキャベツなどの冬野菜の種をまきをしました。
更に、来月にはイチゴの定植が控えていることから、夏の間、黒マルチを張って土壌消毒していた区画にイチゴの畝を作りました。
そこで今日はその様子をご紹介したいと思います。
狭い菜園のため、イチゴ栽培に適した広さの区画が無いので、一昨年から同じ場所で栽培しています。
今春は2回目だったにもかかわらず、連作障害が発生することなく、よく育ってくれました。
3回目となる来春も、連作障害が発生しないことを祈りたいと思います。
・夏の間土壌消毒していたイチゴの区画です。
・1カ月半ぶりに土壌消毒の黒マルチを剥がしました。
畝の土は柔らかく、適度な湿りがあって、良好な状態が保たれていました。
夏の熱射によって土中の病害虫は死滅したものと思います。
この区画に幅90㎝ほどの畝を作っていきます。
先ず、120㎝ごとに軽く溝をきっておきます。
次に、10㎡当たり堆肥30㎏、BMようりん600g、苦土石灰1㎏、油粕3㎏、化成肥料、米ぬかを散布します。
昨年は、所定量を計量してビニール袋や買い物袋に区分けしていましたが、今年は大体の分量を把握していることから感覚で散布しました。
甘いイチゴを作るために、ようりんを少し多めに混和しました。
・1畝目に上記の肥料を散布したところです。
肥料を散布した畝を耕運機で4往復耕すとすっかり土になじみます。
その後、鍬で畝立をします。
・1畝目ができたところです。
同様の方法でこの区画に6畝を作りました。
当日は午後から作業開始したのですが、最高気温が33度の真夏日だったことから汗をかきながらの作業で、夕方にはふらふらでした。
・これが出来上がった畝です。
この後、畝幅の調整をして完成です。
植え付けは来月初めに行う予定です。
大阪・泉州に秋を告げる「だんじり祭り」のシーズンが到来しました。
今日は、今や日本を代表する祭りの一つとなった「岸和田だんじり祭り」をご紹介します。
岸和田だんじり祭」は、五穀豊穣を願って大阪・岸和田市で江戸時代から300年以上続く祭りです。
祭りの見どころの1つは、重さ4トンのだんじりの向きを勢いよく直角に変える「やりまわし」です。
・やり回しです。だんじりは左から手前に一気に回ります。(以下、画像は全て平成22年の撮影です。)
「だんじり祭り」は、平成17年(2005年)までは9月14日と15日に行われていましたが、9月15日の敬老の日がハッピーマンデーにより9月第3日曜日になったことから、翌年から敬老の日の直前の土・日曜日(9月第3土曜日と日曜日)に日程が変更となりました。
今年は昨日の14日と今日15日の2日間にわたって行われ、マスコミの報道では見物客は50万~60万人と予想されています。
・南海電鉄・岸和田駅前を曳行している「だんじり」です。
・岸和田市宮本町の「だんじり」です。
・だんじりにはこのように見事な彫刻が彫られています。
各町内が保有するだんじりの彫刻はいずれも見事な美術品です。
だんじり祭りは泉州、河内、大阪、神戸、奈良など、関西一円の祭りの形態として存在しており、そのうち、岸和田以南の泉州各地の「だんじり」はその殆どが10月祭礼で、体育の日の直前の土曜日、日曜日に行われます。
我が町・熊取の今年の祭礼は、10月12日(土)と13日(日)の2日間に行われる予定です。
先日、NHKのステーションブレイク、所謂、番組と番組の間のスポットで「パンパスグラス」を紹介していました。
その中で、今月いっぱいが見ごろだと紹介していたので、早速、長池の散歩コース沿いに植えられているこの花を撮影してきました。
パンパスグラスはイネ科シロガネヨシ属の多年生植物で、別名を「銀葦(しろがねよし)」と言います。
原産地はブラジル、アルゼンチン、チリなどの南米大陸の草原地帯で、日本には明治時代の中ごろに渡来したそうです。
ふわふわした巨大な花穂が特徴の植物で、草丈は2~3mくらいにまで伸びます。
耐寒性があって、性質はきわめて強く、一度植えると年々大株に生長するようです。
・これが長池公園の散歩コース沿いにあるパンパスグラスです。
パンパスグラスは薄(すすき)を大型にしたような植物で、うす茶色で羽毛状の穂が大変美しい花です。
この植物は大きく成長することや花穂をつけた姿が見栄えすることから、公園・花壇の植栽や道路分離帯の緑化などに用いられる場合が多く、花穂は活花やドライフラワーに使われるそうです。
・パンパスグラスの花穂です。
名前の由来はアルゼンチン近辺の草原地域の名前の「パンパ」地方に生えているグラス(草・芝)からだそうです。
・ススキの葉のように細長い葉はフチがピンと貼った紙のようにするどく、不用意にさわると手が切れることがあるので注意が必要とのことです。
歳をとると姿勢が悪くなります。
自分では真っすぐに立っているつもりでも、他人が見ると前にかがんでいるのだそうです。
身体をかがめて後ろへ尻を突き出した姿勢を「へっぴり腰」と言いますが、いつの間にかこのような姿勢になっています。
何故、このような姿勢を「へっぴり腰」と言うのか、今日はその謂れを調べました。
「へっぴり腰」の「へっぴり」は「へひり」が促音添加した語だそうです。
「へひり」とは「屁をひる(おならをする)」の意味で、漢字では「屁っ放り腰」と書きます。
この言葉は江戸後期の川柳集に「からくりを へっひりごしで のぞいてる」と使われていて、箱の中に入れた数枚の絵が転換するのをのぞき穴から見る装置の、"のぞきからくり"をのぞく姿勢が「へっぴり腰」だと言っているのですが、何故、この恰好が「へっぴり腰」かと言うと、"屁を放る"時、即ち、おならをする時のように、上体をかがめてお尻を後方に突き出すような姿勢だからなのだそうです。
恐る恐る高いところで作業をしたり、自信なくバッターボックスに立つときなど、自信のない態度やびくびくした態度もこのような姿勢になることから「へっぴり腰」と言うようになりました。
2020年の東京オリンピック招致の成功や、アベノミクス効果で各種経済指標の上昇から景気回復が感じられるようになり、高支持率を維持している安倍内閣ですが、6年前の今日9月12日は第1次の安倍総理が突然退陣表明をした日でした。
「第1次 安倍総理退陣表明」
6年前の2007年(平成19年)9月10日、安倍首相は第168回臨時国会の所信表明演説を行いながら、代表質問が始まる予定の9月12日、緊急記者会見を開いて首相の職を辞することを表明しました。
表向きの理由は「テロとの戦いや改革を円滑にすすめるために自分が身を引くことが最善だと判断した」ということでしたが、後日、過度のストレスによる潰瘍性大腸炎の悪化(脱水症状・体重減少・体力の著しい減退等)が理由だったことが判明しました。
安倍首相は翌13日から慶應病院に入院し、新首相が決定するまで病室で首相としての執務を続けました。
9月26日には内閣が総辞職し、福田内閣が誕生しました。
この後の自民党は国民から見放され、総理大臣になった福田総理、麻生総理は1年で退陣の憂き目を見ます。
そして2009年の衆議院選挙では自民党に愛想を尽かした国民は民主党に期待し、民主党の圧勝となって新しい政治を期待しました。
しかし、3年余りの民主党政治は素人以下の散々なもので、鳩山、菅、野田の三総理はいずれも1年前後で退陣し、日本政治は世界から信頼を無くしてしまいました。
国民は余りにもひどい3年余りの民主党政治にも愛想をつかし、昨年暮れの衆議院選挙では敵失によって自民党が圧勝しました。
第2次安倍内閣は7月の参議院選挙でも圧勝してねじれが解消したことから、長期政権が予想されています。
安部内閣には、至上命題でもあるデフレからの脱却と東日本大震災からの早期復興、汚染水問題の終息、そしてオリンピック関連工事をてことした景気回復を確実なものにして、全国隅々までその恩恵が行き渡るような政治運営と共に、再び日本が世界から脚光を浴びるような国家に導いて欲しいものです。
「のべつ幕なし」という慣用表現があります。
意味は「ひっきりなしに続くさま」を言うのですが、今日はこの言葉の由来を調べました。
調べてみると、この言葉は芝居からきた言葉でした。
「のべつ幕なし」の「のべつ」は「延べつ」と書き【ずっと続けて】の意味で、「幕なし」は【幕が引かず、休みなしに演じ続けること】という芝居のことばで、そこから【ひっきりなしに続く】という意味でも使われるようになったそうです。
最近、「のべつくまなし」や「のべつ暇なし」などと間違って使用する人が多いと言われています。
文化庁が発表した平成23年度「国語に関する世論調査」でも、「ひっきりなしに続くさま」を表現する時、本来の言い方である「のべつまくなし」を使う人は42.8%、間違った言い方「のべつくまなし」を使う人が32.1%いたそうです。
"幕がひかない"という語源を知っていれば、このような間違った言い方は防げそうですね。