らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

奈良・日帰りの旅(その5)三月堂

2013-09-30 | 旅行

先日から奈良市の「東大寺」をご紹介していますが、5回目の今日で東大寺の伽藍は最終となります。

「法華堂(三月堂)(国宝)」
東大寺法華堂(とうだいじほっけどう)は、奈良時代(8世紀)建立の仏堂で、一般に三月堂(さんがつどう)として知られています。
東大寺に現存する数少ない奈良時代建築の1つであり、堂内に安置する10体の仏像も奈良時代の作だそうです。
旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われることから、法華堂、また三月堂とも呼ばれるようになりました。
白い漆喰塗りの土の壇(亀腹)上に建てられている「法華堂」は、丈六(4.85m)の本尊「不空羅索観音(ふくうけんじゃくかんのん)立像」に因んで「羅索(けんじゃく)堂」とも呼ばれ、「羅」は狩猟の網、「索」は魚釣りの糸の事で、それらを持って、人々の苦難を摘み取る観音様だそうです。



「四月堂(三昧堂)(重文)」
東大寺の三昧堂(さんまいどう)は、「法華三昧会」が旧暦の4月に行われるため、一般に四月堂と呼ばれています。
法華三昧とは、天台宗における四種三昧の一つである「半行半坐三昧」のうち、法華経に基づいて行われる行のことです。

三昧堂は1021年に創建され、その後、鎌倉時代に再建されています。更にその後、鎌倉・室町期の古材を用いて1681年に改築されました。
現在は、1903年に法華堂(三月堂)から移された千手観音立像が本尊となっていますが、かつては普賢菩薩像を本尊としたため、普賢堂(ふげんどう)とも呼ばれたそうです。



「手向山八幡宮」
「手向山(たむけやま)八幡宮」は、大仏鋳造の時に、その守護神として豊前(大分県)の宇佐八幡神を勧請され、東大寺の鎮守社でしたが、明治維新直後の神仏分離に際し東大寺から独立しました。
1691年(元禄4年)公慶再建の本殿に祀られていた快慶作で国宝「木造僧形八幡座像」は、今は東大寺勧進所の八幡殿に秘仏として安置され、毎年10月5日に開扉されるようです。




・手向け山八幡宮の本殿です。


菅原道真の「腰掛石」と「歌碑」です
「手向山八幡宮」の本殿に向かって右(南)へ行くと、菅原道真が腰を掛けたと言われる石があります。
彼は898年(昌泰元年)10月朱雀院(宇多上皇)が吉野の宮滝から、竜田山を越えて河内に入り、住吉神社に詣でて御幸された時に随行し、「手向山」にも立ち寄って、「百人一首24」に載った「古今集」の和歌を詠みました。

 「此のたびは幣(ぬさ)も取りあえず手向山 紅葉の錦(にしき)神のまにまに」 菅家(菅原道真)

意訳:このたびの旅は急なお出掛けのため、お供えの幣帛(へいはく)の用意もできていません。
    とりあえず、この手向山の美しい紅葉の錦を幣帛として神よ、御心のままにお受け取りください

 この時、彼は54歳、右大臣に昇格する前年で、それから3年後、筑前の大宰府へ左遷されました。



「若草山」
奈良公園の東、東大寺の裏手に広がる標高342メートルの草山で、3つの頂があるため別名「三笠山」とも呼ばれています。
広さが33haあり、山内のあちらこちらで鹿を見ることができ、春には桜、秋の紅葉、ススキと四季折々の自然を楽しむことができます。
若草山の入山料は150円。



「昼食」
昼食は若草山の前にある大和風料理の菊一文殊包永・永楽レストランで「茶がゆ」と「三輪そうめん」を頂きました。
このレストラン「菊一文珠四郎包永(きくいちもんじゅしろうかねなが)」は、古く鎌倉時代より刀剣の匠(たくみ)として銘を受けた刀鍛冶だそうで、現在ではその秘伝の技を包丁等の刃物に生かして今日に伝えているそうです。

・昼食の茶がゆと三輪そうめんです。