goo blog サービス終了のお知らせ 

らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

平賀源内と破魔矢

2021-01-18 | 季節

正月の縁起物で、神社仏閣などで授与されるものに破魔矢があります。
皆様の中にも今年の初詣で授かった方もいらっしゃることと思います。
でも、破魔矢には一体どんな意味や由来があるのでしょうか?
調べてみました。

「破魔矢(はまや)」
破魔矢は、お正月に初詣などの際に授与される「縁起を祝うための矢」のことをいいます。
「破魔」という漢字が示すように、不幸や災いといった「魔」を破って、幸福に一年を過ごせますようにという願いや、破魔矢が「矢」の形状をしていることから、一年間の好機を射止められますように、といった願いの意味が込められています。
(参考)
「授与」という表現についてですが、神社やお寺では、お札やお守りなどを「販売する」「購入する」とは表現しません。
神様や仏さまから「授けて頂くもの」と言うことで「授与」という言葉を使用します。

・破魔矢です(ウィキペディアより)

「破魔矢の由来」
破魔矢の由来は、日本各地で古くから作物の吉凶を占う際に行われていた弓射(きゅうしゃ:弓を用いて矢で的を射ること)が起源とされています。
破魔矢はお正月の男児の遊び道具にもなっていましたが、江戸時代には子供が無事に成長することを祈る縁起物として、装飾をした弓と矢が男児の初正月に贈られるようになりました。
その後、矢だけが魔除けとして神社で授けられるようになったと考えられています。

「破魔矢と平賀源内」
破魔矢を授けてもらう風習は江戸時代に蘭学者の平賀源内が東京・大田区にある新田神社に持ち掛けたのが始まりと言われています。
新田神社は、南北朝時代の武将・新田義貞の次男義興が正平13年(1358年)10月、謀略により、多摩川の「矢口の渡」で壮烈なる最後を遂げたのですが、義興は怨霊となって敵の領地内に雷を落とし、行き来する人を悩ませたため、その魂を鎮めようとしてできたのが新田神社です。

400年が過ぎた後、参拝時に神社の由来を知った平賀源内は、境内にある篠竹と五色の紙で矢を作って新田家の幟と同じ黒一文字の短冊を付けて「魔除け」とすることを提案しました。
これが厄除け開運・邪気退散の「お守り」となり、破魔矢の風習につながったとされています。

・平賀源の肖像画です。(ウィキペディアより)


「平賀源内とは」
平賀源内は江戸時代に登場する人物で、享保13年(1728年)に讃岐(現香川県)高松藩の足軽身分の白石家の三男として生まれました。
彼は地質学者、蘭学者、発明家と多様な顔を持ち、一般にエレキテル(電気=江戸中期にオランダから伝来した摩擦起電器)と言う言葉と結びつくことが多く、悲劇的な最期を遂げた人物としても知られています。

平賀源内と言えば、「土用の丑の日」の提案者でもあります。
その故事は、ウナギ屋に夏場はウナギが売れないので何とかしたいと相談され、「本日、土用丑の日」と書かれた看板を出すことを提案したところ、店は大繁盛したとされています。