初詣に神社や寺院に行かれたことと思います。
寺院ではご本尊の仏像が仏殿の中央に安置されているのでご本尊に向かって手を合わせてお願い事をしますが、神社ではご本尊に相当する御神体がどこを見回しても見当たりません。
御神体は拝殿の奥の本殿に祀られているといわれていますが、一般の参拝者は勿論、宮司ですら滅多に見ることはないのだそうです。
宮司ですら見ることがない御神体(神様)に向かって、私たちは手を合わせて拝んでいるのですが、御神体とは一体どのようなものなのでしょうか?
調べてみました。
「御神体とは」
御神体とは神道で神が宿るとされる器、物体です。
御神体は「依り代」「御霊代」とも呼ばれており、それが礼拝の対象となっているのです。
ご神体として最も一般的に祀られているのは「鏡」です。
他にも「剣」、「勾玉」、「石」、「御幣(神前に供える布帛)」、「弓矢」など種類は様々で、「アワビの殻」や「サメの歯」がご神体と言う神社もあります。
時には神の姿を描いた絵画や彫刻がご神体とされているところもありますが、これは仏教の影響を受けて造られたものです。
その他、奈良県の大神神社の三輪山や和歌山県の熊野那智大社の那智の滝ように山や滝、木などの自然物をご神体としている場合もあります。
このように、元々はご神体と言えば自然物が主体でした。
「神道とは」
では神道とはどのような信仰なのでしょうか?
神道は日本民族の間に自然に生まれ育った、伝統的な神祇(じんぎ)信仰です。
従って、これに対する固有の呼称はなかったようですが、欽明天皇(在位539年~571年)の時に伝来した仏法に対比して、神道と表現することにより区別したようです。
神道が日本の文献上初めて出てくるのは、『日本書紀』の第三十一代用明天皇の条に、「天皇信仏法尊神道」(天皇は仏法を信じ、神道を尊びたもう)とあり、これがわが国の文献上での初出だそうです。
「天皇との関わり」
「古事記」「日本書紀」によれば、神武天皇の東征後、数代の天皇は天照大御神の神鏡を皇居の中に祀っていました。
つまり、皇居が神宮でした。
そして、第十代崇神天皇朝に初めて天照大御神を大和の笠縫邑(かさぬいむら)に祀り、皇居と神宮を分離させました。
さらに、『古事記』では同朝期に「天神地祇(てんしんちぎ)の社を定め奉る」と記されていて、そのことから天津神(あまつかみ)を祀る天社(あまつやしろ)と国津神(くにつかみ)を祀る国社(くにつやしろ)が定められたということです。
なお、天津神は高天原にいる神々、国津神は地に現れた神々の総称とされています。
ただし、高天原から天降ったスサノオやその子孫である大国主などは国津神とされています。