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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

熊野古道を歩く(その1)「不寝王子」

2013-05-15 | 趣味

12日~13日の2日間、現役時代のOBで構成する”歴史探訪同好会”のメンバーと熊野古道(中辺路ルート)を歩いてきました。
今日から数回に分けて“熊野古道を歩く”シリーズとして、世界遺産「熊野古道」を記します。

今回のコースは途中に標高782mの悪四郎山の峠越えがある難所コースで、約22㎞ほどの山道を一泊二日で歩くものです。
参加人員11名の内、最年長者は75歳の男性1名、最年少者は60歳代前半の女性1名、その他のメンバーは既に古稀を迎えている人6名、他は数年以内に古稀を迎える人たちで、いずれも体力よりも口が達者な人たちが集いました。

第1回目の今日は、前回(昨年11月)の終点である滝尻王子から「不寝王子」までをご紹介します。

・滝尻王子に掲げられている案内図です。


「滝尻王子宮」
滝尻王子は熊野九十九王子の内で最も重要視された王子の一つで、社格の高い五体王子です。
古道はここから背後の剣ノ山へ登りますが、ここが熊野の霊域の入口とされていました。
後鳥羽上皇の一行もこの社前で御歌会を催されたと伝えられます。

・滝尻王子(たきじりおうじ)は、富田川と石船川が合流する地点にあり、「滝尻」の名は、石船川の急流が富田川に注ぐ滝のような水音からきたと云われています。


・滝尻王子跡には皇太子殿下が行啓された石碑が建っています。


滝尻王子から古道は山林に入り、400mほどを一気に登ることから、熊野古道(中辺路コース)の魅力を存分に楽しめますが、アップダウンの激しい山道となります。

・オレンジと白色の帽子を被っているグループが私たちのメンバーです。


「胎内くぐり」
滝尻王子から急な山道を300メートルほど上ったところには「胎内くぐり」と「乳岩」があります。

胎内くぐりとは、古道に沿って横たわる巨大な岩があって、そこには人ひとりがやっと通れる程の穴(岩と岩のすき間)があいています。
地元の人は、春秋のお彼岸の日には、この岩穴をくぐって山上にある亀石と呼ばれる石塔に参ったそうです。
この岩穴をくぐることを、胎内くぐりと言い、女性が胎内くぐりをすれば安産になると信じられていたことから、女性は必ずこの胎内くぐりをして行ったそうです。

・これが「胎内くぐり」がおこなわれた岩穴です。現在は通れません。


「乳岩」
乳岩の謂れ、、
奥州平泉の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)が、妻が子種を授かったお礼に熊野参詣をしました。
秀衡は妻を伴って本宮に参る途中、滝尻で、妻はにわかに産気づき、男の子を出産しました。
生まれたばかりの子をつれて熊野詣をするわけにも行かず、やむなく岩屋に子供をあずけ、参拝をすませて帰ってくると、子供はオオカミに守られ、岩から滴り落ちる乳を飲んで、元気にしていたと伝えられています。
この子が成長して秀衡の三男の和泉三郎忠衡になったと言う話があるそうです

・こちらは乳岩です。


「不寝王子(ねずおうじ)」
滝尻王子から背後の剣ノ山の坂道を400mほど登ったところに不寝王子の跡だとされる場所があります。上記の藤原秀衡伝説で知られる「乳岩」の少し上方になります。

ここの説明板によれば、中世の記録にはこの王子の名は登場しません。王子の名が載せられているのは江戸時代、元禄年間頃に著わされた『紀南郷導記』です。
これにはネジ或いはネズ王子と呼ばれる小社の跡があると記され、「不寝」の文字が当てられています。
この頃既に跡地となっていたようで、またネズの語源も明らかではありません。
江戸時代後期の『紀伊続風土記』では、「不寝王子廃止」となっており、今は滝尻王子社に合祀されていると記されています。

・不寝王子(ねずおうじ)です。