学校や家庭で、いじめや子供の虐待が後を絶ちません。
生徒の自殺や生後1年にも満たない子供を激しく揺すって死亡に至らしめたり、或いは障害を負わせたりする悲惨なニュースが度々目に飛び込んできます。
昔は、子供の喧嘩や躾は厳しく叱ったり、こらしめの体刑として尻を叩く程度の折檻でした。
現在のような虐待などはなかったように思います。
今の若い人たちは、核家族の温室の中で、何不自由なく、豊かに育ったことから、辛抱とか我慢ができないまま大人になった人が増えているのでしょうか?
さて今日は、戦後の貧しい時期、どこの家庭においても、いたずらをした子供が祖父や両親から厳しく懲らしめられた、所謂「折檻(せっかん)」の語源について調べました。
前漢の成帝(せいてい在位:前33年~前7年)の時代、張禹(ちょうう)が外戚の王一族に取り入って権勢を振るい、王一族の専横を見て見ぬふりをしていたため、県の長官だった朱雲が張禹を排除するよう成帝に諫言(かんげん)しました。
すると成帝は怒って朱雲を死刑するように命じました。
捕縛されそうになった朱雲は宮殿の檻(てすり)にしがみつき動こうとしなかったため宮殿の檻は折れてしまいました。
成帝は、それを見て反省し、朱雲の意見を受け入れました。
この故事を人々は「折檻」とよび強く諫めることを意味する言葉になりました。
この故事のように「折檻」とは、本来は正当な理由で厳しく忠告することを意味していましたが、最近では「折檻」の名の下に、体罰を行う傾向が強くなっているようです。