私たちの「イタリア浪漫紀行 10日間」のツアーは、ミラノから始まり、フィレンツェまでの北部方面の観光を終え、イタリアの“ユーロスター”に約3時間乗車して、南部の都市ナポリ近郊のポンペイ遺跡を観光しました。
今日からイタリア南部のポンペイ、ソレント半島のアマルフィ、そしてカプリ島をご紹介していきます。
「ユーロスター・イタリア」
この列車は嘗てのイタリア国鉄で、現在は「ユーロスター・イタリア」と呼ばれていますが、英仏海峡トンネルを通ってイギリスとヨーロッパの大陸を結ぶ国際列車のユーロスターではありません。
ローマ、フィレンツェ間の高速新線を中心にミラノ、ローマ、ナポリ間などの都市間で運行されているイタリア版の新幹線です。
「ポンペイ」
2000年前、よく区画されて造られているポンペイの市街図です。
イタリアのナポリ近郊にあったあった古代都市で、起源後79年のヴェスヴィオ火山の大噴火による火砕流によって、一瞬にして死の灰に閉ざされた町です。
ローマ人の余暇地として繁栄し、最盛期の人口は約2万人といわれています。
「ヴェスヴィオ火山」
紀元後79年8月24日の大噴火が有名であり、この時の火砕流でポンペイ市を埋没させました。以後、数十回の噴火を繰り返しているそうです。
嘗ては3000mを超える火山だったそうですが、度々の噴火で山が削られ、現在は1281mになっています。
1880年には山麓から火口まで登山電車が開通しました。これを記念して作られた歌がよくご存じの『フニクリ・フニクラ』です。
「ポンペイの城壁」
ポンペイの町はこのような城壁で囲まれていたそうです。
「剣闘士の宿舎」
大劇場の舞台の裏手にあって、観客は休憩時間にここで談笑したり、散策を楽しんだと伝えられています。
大噴火の後は剣闘士の宿舎として使用されるようになったそうです。
「小劇場(オデオン座)」
収容人員は1000人ほどですが、屋根が付いていて音響効果が高かったため、オデオン(音楽堂)として、コンサートや詩の朗読が行われていたといわれています。
2000年前の「小劇場(オデオン座)」の看板がこのように残っています。
「大学生の F さん姉妹」
ツアーの皆さんと行動を共にすると、皆さんと親しくなってきます。その中から愛嬌のある美人の姉妹をご紹介しましょう。
このお二人は、三人姉妹と間違えるほど美しく若く見えたお母さんと御一緒に参加されている F さんの長女と次女の方です。
美人で、愛嬌のある現役の女子大学生が、私のような年寄りのカメラにも快くポーズをとってくれました。
「車道と歩道」
2000年前にすでに車道と歩道が設けられていたそうです。
通り(スタビアナ通りと説明していたように思います)の両側には家や商店が立ち並んでいました。
「大噴火で亡くなった人のレリーフ」
ヴェスヴィオ火山の大噴火に伴い、発生した二酸化硫黄や硫化水素などの有毒ガスによって、ポインペイでは多くの人が亡くなり、膨大な量の火山灰が降り、人々の上に積りました。
長い年月が経つと、人間や動物の肉体は腐食し、微生物による分解でなくなります。その結果、火山灰の中が空洞化します。
考古学者等はそこに石膏を流し込み、石膏が固化した後、火山灰を取り除くことで人や動物のレリーフができあがります。
この方法によって、往年の人々の顔の表情や容姿、衣服から装飾品までがレリーフで再現されているのですが、その数は1200体に上ると云われています。