昨日ご紹介したヴァサーリの回廊はウフィツィ美術館からピッティ宮殿までの約1㎞に亘って続いていますが、今日はそのピッティ宮殿とベッキオ宮をご紹介します。
「ピッティ宮殿」
ピッティ宮殿は1458年ルカ・ピッティの私邸としてルネッサンス様式で建てられましたが、後にピッティ家が没落してからは放置されていました。
1539年にメディチ家によって買い取られた後に、幾度かの増築が繰り返されて、正面左右の長さが200mの大規模な宮殿となり、ベルサイユ宮殿が出来るまではヨーロッパ最大の宮殿だったそうです。
宮殿には、約400年に亘りメディチ家を中心として収集された膨大な絵画や宝飾品のコレクションがあり、現在は、内蔵する美術品とともに美術館として一般に開放されています。
撮影禁止だったので、ネットより展示作品の一部をご紹介します。
ラファエロの「大公の聖母」です。(ウィキペディアより)
ラファエロの「ヴェールを被る女性」(ウィキペディアより)
「ブオンタレンティのグロッタ」
ピッティ広場への出口近くにあり、1583年~88年に造られたものだそうです。
このグロッタ(洞窟・洞穴)には全体に3つの洞窟があり、内部にはギリシャ神話を題材とした複数の芸術家による彫刻が収められています。
これを見た人が“グロッテスコgrottesco”と言った伝わっており、これがグロテスクの語源にもなったという説があるそうです。
グロッタ(洞窟・洞穴)の一部です。
「ベッキオ橋」
ベッキオ橋はアルノ川にかかるフィレンツェ最古の橋です。
橋の両側には彫金細工店や貴金属店が軒を連ねていますが、このプロムナード(散歩道)も13世紀には皮革屋や肉屋が並び、異臭を放っていたそうです。
宮殿近くに臭い市場がある事を嫌ったフェルディナンド1世の命令により1593年に市場は撤去され、宮殿周辺に相応しい宝石店が並ぶようになったそうです。
両側に金色に輝く宝石店が立ち並ぶベッキオ橋です。(右側店舗の階上が「バザ-リの回廊」です。
ベッキオ橋には、このような宝飾店が軒を連ねています。
「ベッキオ宮」
ヴェッキオ宮殿は、力強いゴシック様式の外観で、高さ94mの『アルノルフォの塔』が特徴的となっている宮殿で、嘗てのフィレンツェ共和国の政庁舎(シニョリア)だったそうです。
このため、当初は「シニョリア宮殿」という名前でしたが、メディチ家のコジモ・ルイ・ヴェッキオが1540年~1565年の間、宮殿として使用していたことから『ヴェッキオ宮殿』と呼ばれるようになりました。
ヴェッキオ宮殿内で最も人気のある部屋は、長さ53mに及ぶ『五百人広間』で、天井、壁にはフレスコ画が描かれています。
「五百人広間」の奥には「レオ10世の間」があり、現在も市役所として使われているそうです。
これが長さ53mに及ぶ「五百人広間」です。(ウィキペディアより)
「シニョリア広場」
シニョリア(政庁舎)広場は、1299年に工事が着工され、13~14世紀の自治都市時代に政治の中心だったそうです。
広場にはメディチ家の初代トスカーナ大公の「コジモ1世の騎馬像」や、「海の神ネプチューン」の噴水、マルゾッコ、ユディットとホロフェルネス、ダヴィデ像、ヘラクレスとカクス、サビ二女の略奪など、数々の彫刻が並んでおり、広場がミュージアムのようなことから、たくさんの観光客でにぎわっていました。
宮殿入口にある二つの像は、左がミケランジェロの「ダヴィデ」、右はバンディネッリの「ヘラクレスとカクス」です。
この像が「海の神ネプチューン」の噴水です。