退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「濁りのない物語と濁りっぱなしの分野」について

2016-08-19 03:12:25 | Weblog
晴れ。蒸す。

仕事を普通にこなして帰宅。

もっとも帰りの電車で乗り過ごしかける。
いつもの駅がいつもと違って見えて。

深夜バドミントン女子ダブルス決勝を観る。

審判の誤審もあり相手が常に先を行く展開からの逆転劇。
泣く高橋と笑う松友の対照にふむふむ。

天才肌の後者とおそらくは努力家の前者の組み合わせの妙。
なるほど好ましいペアというのはこういうものだとあらためて思った次第。

どちらかひとりだけでは生まれない「現実」よ。
「インチキのない物語」を十分に堪能させてもらった。

卓球の伊藤美誠の不敵さと同じ匂いが松友にはある。
いずれも好ましいキャラクター。

表彰式ではさすがに彼女も少し泣いた。
この「少し」が実に味わい深い。

さて。

何度でも繰り返すがスポーツでは世界の頂点に立てる人材も少なくないわが国。
もう少し他の分野でも人材を見出したいもの。

とりわけ政治の分野にそれを望みたいのだけれど
残念ながら今のところはそのかけらもなく。

その理由は明らかで「世界」と対峙していないから。
国内のあれこれにのみ対応しているのではどうにもならないのは必定。

本来はほぼ自動的に「世界」と戦う立場になるはずのものがなぜか。
まずは「同じ土俵」に立たなければ何も始まらず。

少なくともそのことを意識した上で行動できる人物でないと。
そして「政治」を取り巻く「環境=マスコミあるいは国民」も同様。

あらためて「世界」をまともに認識するようにならなければダメ。
そしてその種の人材の育成をもっともっと活発に。

この「当然」がいつまでたっても行われないとおそらく「未来」はないはず。
関係各位に猛省を促すとともに自らも「それなりの見識」を示していきたいもの。
コメント
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