退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「存在の厄介さ」について

2016-08-23 03:29:13 | Weblog
晴れ。普通に暑い。

牧潤二「詐病」を読む。

古くは「徴兵忌避」や「刑罰逃れ」のために行われ
近くは「保険金詐欺」や「登校しないこと」のために行なわれている模様。

「不都合な現実」から目をそらすという手段がある一方
「都合のいい現実」を生み出すという手段もある。

人はいかに「現実を受け入れがたい存在か」ということがあらためてわかる内容。
自分の胸に手を当ててみれば実は誰にでもあることだったり。

その事実を知った上でできるだけ現実を直視したいもの。
そしてそれが為し難いことだと知っておきたいもの。

ダリオ・アルジェント「シャドー」(’82)を観る。

唯一覚えていた白い腕が斧で切られ血がシャワーのように飛び散るシーンはラスト近くに。
結末はすっかり忘れていた。

犯人の視点で家の壁を登るキャメラがやはり印象に残る。
いつもの「目のアップ」は今回も。

「荒野の1ドル銀貨」(’65)が懐かしいジュリアーノ・ジェンマが刑事役で登場。
女優陣の裸のシーンがやや増えている感じ。

「謎解き」としてはちょいと微妙。
犯人の「女嫌い」とそれをもたらした過去よ。

それにしても結局自分の都合のためなら誰でも殺すという身勝手さは
今日のニュースにもあった「母親による無理心中」と変わりなく。

われわれはかくもやっかいな存在であると自覚しつつ
できれば穏やかに暮らしたいところではある。
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