退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

’16盆休み6

2016-08-17 02:04:01 | Weblog
晴れ。毎日暑い。

タバコを買いに行った以外はひきこもり。

本を読み始めたものの異様に眠気が来てどうにもならず。
満足に読めないままに終わる。

イングマール・ベルイマン「第七の封印」(’57)を観る。

ベント・エケロートの死神が何といってもコワい。
悩める若き日のマックス・フォン・シドーは最後に善行を。

ニルス・ポッペとビビ・アンデショーンの旅芸人夫婦の幸せぶりよ。
従者ヨンスのグンナール・ビョルンストランドは陽気で賢い男。

鍛冶屋夫婦と旅芸人ヨナスは笑わせてくれる。
ラヴァルの変貌はいつの世にもありがちで。

ラストで「死の舞踏」をさせられるのは6人のみ。
主人公の妻と少女は「おだやかな死」を迎えたということになるのか。

西洋人の「神」に対するこだわりの強さを知っておこう。
わが国の「八百万の神々」とは違うところを。

引き続きイングマール・ベルイマン「野いちご」(’57)を観る。

老教授が主人公の「ロード・ムービー」。
映画の設定同様七十八歳のヴィクトル・シェストレムが素敵。

「老い」「孤独」「家族」「夫婦」の「容赦のない描写」と
エンディングの味わい深さがしみる。

ビビ・アンデショーンは対照的な二役。
イングリッド・チューリンの「大人な色気」にふむふむ(この当時29歳)。

冒頭の夢の映像で棺を乗せた馬車が街灯に引っかかり
はずれた車輪が主人公の方に転がった後の返しのショットが印象的。

この作品は現代でもっと採り上げられるべきだと思うことしきり。
もっともベルイマンの名前そのものがすでに微妙だったりするのか。

映画ファン以外の人に是非おすすめしておきたい。
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’16盆休み5

2016-08-16 00:32:23 | Weblog
晴れ。蒸し暑い。

早朝に起きてクインビーのマスターと友人の墓参りへ。

半年ぶりの近況報告はかなりハードな感じ。
労働時間も長く5キロくらい痩せたとのこと。

細かく対応しなければならない部分が少なくないようで
その割りに「クレーム」もあったりするらしい。

とりあえず身体を大切にしていただきたいもの。

久方ぶりに会ったお子と相撲を取り汗をかく。
両親の「生活ぶり」をあれこれ伝えてくれるので大いに笑う。

コメダで休憩した後送ってもらった駅でちょいと「お土産」を渡す。
活字を読まないそうなのでマンガを読んでもらいたい。

帰宅後シャワーを浴び涼んでいると
下の妹が昨日忘れた携帯を取りに娘を連れてやってくる。

仕方なく「神経衰弱」に付き合うことになり大人気もなく勝つ。
母親によると帰り際に「おぢさんとまた神経衰弱をやりたい」と言っていたそう。

いやはや。

子どもには好かれるものの肝心なところではそうでもなく。
残念な体質の持ち主ではある。

秋草鶴次「十七歳の硫黄島」を古本屋で100円で買って読む。

想像力があればあるほど息苦しくなる内容。
とりわけ暑さと臭いとあまりの喉の渇きにガソリンや軽油を飲んでしまう事実よ。

自らのケガもあって親友が手榴弾で自爆するのを止められない現実。
この「圧倒的な無惨さ」を知った上で「戦争」を語りたい。

「おわりに」の著者の言葉の「複雑さ」を十分に味わうこと。
人をこういう「場所」に追い込むことの「無情さ」を覚えておくべきか。

ヤン・コマサ「リベリオン ワルシャワ大攻防戦」(’14)を観る。

1944年ナチス・ドイツに占領されていたポーランドは
間近に迫ったソ連軍の介入に期待して「ワルシャワ蜂起」を行ったのだが。

数日で終わるはずの戦いに意気揚々と参加した若者グループの悲劇を描いた作品。
恋愛模様の「ユートピア演出」もあれば戦争の「ディストピア演出」もあり。

無造作に至近距離から撃たれて死ぬ場面や
病院で(!)死体が山と積み重ねられている映像などはさすがに腹にこたえる。

ポーランドという国に襲いかかった悲劇も只事ではないと思うことしきり。
今さらながらその事実を「世界遺産」としておきたいところ。

ラストシーンは「感慨」を生み出す仕組み。
それにしてもこの副題はいかがなものか。
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’16盆休み4

2016-08-15 01:11:59 | Weblog
晴れ。今日はひきこもり。

本も読まずDVDも観ずに終わる。

夕方までグダグダして宴会。
いつものように大して飲まずに寝る。

アルコールには決して強くない体質であることを確認。
緊張感がないとすぐ眠くなるから。

明日は久方ぶりにクインビーのマスターと墓参り。
ちょいと早起きしなければならない。

近況報告が楽しみ。
結構たいへんだとは思われるのだけれど。

墓参りの後の展開はどうなるか不明。
おそらく普通に帰宅することになるはず。

明日以降は再びDVDとCDを見聞きする予定。
というわけでもう少しだけ飲んで寝る。
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’16盆休み3

2016-08-14 02:01:46 | Weblog
晴れ。猛暑が日常に。

明日家に親類一同が集合するため掃除及び買い出しに付き合う。

スーパーで母親が刺身を「爆買い」するのに驚く。
九州出身のせいか「もてなし」となると相手が孫でもスゴい勢い。

何をしても「力む体質」の持ち主で。
そのせいか息子は「どうにも力まない体質」になった模様。

アンジェイ・ワイダ「ワレサ 連帯の男」(’13)を観る。

映像の質より「歴史の記録」という感じの内容。
ことソ連が絡むと必ず「脅し」があったことは覚えておこう。

「知識人に劣等感を持たない」という主人公の「健全なあり方」にふむふむ。
捕まるたび腕時計と結婚指輪をはずして「何かあったらこれを売れ」と妻に言うのがなかなか。

その後飲みながら適当にオリンピック観戦。

陸上100mの予選の後で錦織vsマレーの試合を観ていたら。
突如大晦日にSMAPが解散するニュースのテロップが流れる。

それってそんなに「大事」かよと笑った次第。
もちろんオリンピックが「大事」なわけでもなく。

錦織が不調のままマレーに負けた後には「正式なニュース」としても伝えて。
この「価値観」が意味不明。

個人的には「ジャニーズ」が生み出すものには飽き飽きしているので
「亀裂」が生じたのは「いいこと」だと思うものの。

「国民的アイドル」だからの「国民的」というあたり
「オリンピック一色」になる「ニュース」のあり方には似ている。

「実際の未来」に希望など持ちようがないからこそ
いたずらにオリンピックでの好成績が持ち上げられる「事実」を忘れずに。

そして「祭りの最中」はいいとして必ず「祭りの終わり」が来ることも同様に。
われわれには「熊本の震災」さえまともに「手当て」できていない「現実」がある。

繰り返せばかくも「現実」を認めないことが「至極普通」になったということ。
ドラッグに溺れるジャンキーを笑えない姿がそこにある。
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’16盆休み2

2016-08-13 02:20:48 | Weblog
晴れ。当然のように暑い。

近くのシネコンで庵野秀明「シン・ゴジラ」を観る。

キャストの豊富さとともにある意味で「オール・ジャパン」といった趣き。
3・11以降のわが国の状況を「リアル」に描いている。

冒頭の「政治家・官僚のダメさ」は会議の多さでわかる仕組み。
変態するゴジラの姿はあらためて「放射能」の影響を思わせる(当初「血」を流す姿に注目)。

その圧倒的な尻尾の大きさにふむふむ。
ただ怖さは思ったほどではなく。

とはいえ被害の描写はまさに「津波と地震の後」。
「ヤシオリ作戦」は福島原発を束の間冷やした現実そのもので。

ゴジラが発する光線の「容赦のなさ」がいい感じ。
倒れる高層ビルと電車の使い方は素晴らしい。

昭和29年(1954)の第一作の「志」を受け継いだという意味で素敵。
もっともそれから60年以上たって「同じことが繰り返される『現実』」はいささか微妙ではあるけれど。

昔の東宝映画同様外国人が出演しているのにもニコニコ。
「人間のドラマ」が薄い演出を覚えておこう(「アルマゲドン」(’98)との比較)。

TVで「コクリコ坂から」(’11)を観る。

今となっては「なかなかいない人々」がたくさん現れる。
男女や子どもと大人のあり方も同様。

「コクリコ=ひなげし」「カルチェ・ラタン=ラテン語地区」「メル=海」などフランス語があれこれ。
宮澤賢治「春の修羅」が映ったりディオゲネスが出てきたり。

キャラクターとしては徳丸理事長(スタジオジブリ創設もした徳間康快がモデル)が印象に残る。
広小路幸子の「とぼけた雰囲気」も。

清潔感満載とでも言ったらいいのか。
「悪人」がひとりもいない「ユートピア」。

さて。

TVではニュースも含めてオリンピック一色。
メダルを取った選手たちの「物語」がうんざりするほど繰り返され。

わが国のメダル獲得数はそれなりに多い模様。
こうした「人材」がもう少し異なる分野にもあったらいいのにと思うことしきり。

この「アンバランスさ」はわが国特有のものなのか。
「適材適所」がもっとシンプルにあちこちにあればいいのだけれど。

もう少し飲んで寝る予定。
やはりわが国はある種の「パラダイス」だと言ってよさそう。
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’16盆休み1

2016-08-12 02:06:36 | Weblog
晴れ。ずっと暑い。

早起きして墓参りへ。

その後そこそこの味のすき焼きを食べてコメダ。
ここのアイスコーヒーはミルクを入れた方がいい。

残念な叔母は相変わらずの「独演会」。
最近は「張り子の虎」もあまりせず淡々と付き合うように。

自分で気が付かないうちに「やっかいな人」になるのにはご注意を。
もっともそうなるには理由があるのを知った上で。

アンジェイ・ワイダ「灰とダイヤモンド」(’58)を観る。

ドイツ降伏当時のポーランドは
かつての反ドイツ国内軍とソ連をバックにした共産党系との争いが。

「負け組」の国内軍の命令に「大義」を失いつつ従う二人の戦友が主人公。
共産党系の男を殺すはずが無関係な労働者を殺してしまう「同じ国民同士の争い」よ。

そのうち若い方はやがて戦友と恋に引き裂かれることに。
標的となった共産党系の男にも親子のドラマなど。

「逆さキリスト」や水たまりに映る「逆さ花火」などのショットが印象的。
電話ボックスを使った「スプリット・スクリーン」もあり。

一部だけにまっすぐ差し込む光の照明。
BGMに「黒い瞳」が何度か。

酔っ払いの新聞記者はいささかクドいけれど
彼に乗せられて「失敗」する秘書の「正体」を忘れずに。

なるほど「政治的混乱」というのはこういうものかと思った次第。
おそらくわが国の戦後も似たような雰囲気があったのではないかと思いつつ。

アスター・ピアソラ「TANGO BALLET」を聴き直し引き続き「COMPACT JAZZ ELLA&DUKE」。

いささかクラシックの味わいのある前者のタンゴに
馴染みのある「スキャットの女王」のあれこれのナンバー。

落ち着いて楽しめるのは「I'm beginning to see the light」だと確認する。
「Take the “A”train」「caravan」「Mack the knife」などのスタンダードもある内容。

個人的には「good enough to keep」に本領を見るのだけれど。
この曲の一部が「ちんちろりんのカックン」の音源だと知っておくと余計に興味深いかも。

とりあえず由利徹の十八番を載せておく。
敢えて詳細は謎のままに。
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「子どもであることと冷静であることプラス盆休み」について

2016-08-11 02:11:18 | Weblog
『晴れ。終わらない猛暑。

円堂都司昭「戦後サブカル年代記 日本人が愛した『終末』と『再生』」を読む。

おそらく「終末」と「再生」を好むのは「意志のない子ども」。
その意味でわれわれはずっと「12歳」なのかとあらためて思う。

何事かを為すためには地道な努力と年月が必要だとして
どうやらそれを「単調さ」としてしか捉えられない「ひ弱さの持ち主」らしい。

さまざまなレベルでどうにも「歴史の厚味」を加えることができないのもそのせいか。
「人災と天災の区別」をあいまいなものにする体質も同様。

「人智」を尽くして対処しなければならない「フクシマの現状」やいかに。
あらゆるものが「なかったこと」にされるこの「平滑空間」よ。

あらためてわれわれの「愚かしさ」を思うとどうにも。
心ある者たちは自らに刻むものを。

深夜アストル・ピアソラ「TANGO BALLET」を聴く。』と書いて昨日は寝る。

晴れ。今日も猛暑。

キャス・サンスティーン「最悪のシナリオ」を読む。

「直感」は「分析」と異なりリスクの過剰な懸念や不注意を生み出す。
同様に「想起容易性バイアス」は過剰な固執を(「羹に懲りて膾を吹く」類い)。

「確率」による「期待値」を無視すると判断を誤ることにも。
「費用便益分析」を「条件付き」で認めた上で「貴重な情報」を得るのは悪くないなど。

われわれの「リスク認識」の不確実さを十分に意識して「中庸」を選ぶのがよさそう。

例えば百歩譲って原発の技術そのものは結構しっかりしているものだとしよう。
ただしそれを管理するわれわれの「拙劣さ」は必ずしもそれを保証しなかったり。

要は「リスク」に対して冷静に対処することが重要。
少なくとも「感情のフック」に左右されることは避けなければならないだろう。

さて。

明日から一週間の盆休み。
例年通りダラダラ過ごすことになりそう。

もっともDVDやCDとの付き合いはいささか濃厚になるかも。
とりあえず明日は墓参りのための早起きがややめんどくさい。
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「『リアル』と識字あるいは『実力』」について

2016-08-09 03:50:56 | Weblog
晴れ。またまた猛暑。

内田樹・白井聡「日本戦後史論」を読む。

白井聡は福田恒存訳「リヤ王」の「今は末世だ、気違いがめくらの手を引く」という台詞を引き
実はそうした事態を人類は何度も繰り返し経験してきたことを説く。

そういえばジョージ・A・ロメロ「ゾンビ」(’78」で黒人の主人公のひとりは
ラストで一度はゾンビに食われてもいいと思いながら最後にヘリコプターに乗り込む。

この「倫理」を共有するのだとすれば
デタラメがいかに横行しようとも「まとも」であり続けることが重要か。

「敗戦」という事実を受け止めるのはかくも難しいらしい。
そしていかにそれが「フィクション」でも「国際間の『手打ち』」は守らなければ。

わが国はアメリカの属国になって久しい。
その屈辱を本当に思うなら「反米」が基本であることを忘れずに。

アメリカの言うことを聞いたから自分たちの言い分も通してくれという「子どもの理屈」よ。
どの国も「自国の利益」を元に行動するだけという至極当然の「リアル」もわからず。

さて。

DVDを観るつもりだったがついついオリンピックを。
飲みながらダラダラしてしまう。

NHKのニュースを観ていて気付いたのだが
「毅然」という漢字が使われずひらがなになっているのはなぜだろう。

そもそもルビを振る(読みをつける)という工程をいつのまにか無くしたせいで
わが国の識字率は圧倒的に落ちたはず。

そこに付け込んだ「漢字検定」などというものが幅を利かすようになり。
「読み書きソロバン」の基本もどこへやら。

いつでもどこでも出来るのが「実力」だったはず。
「瞬間風速」のように「その場しのぎ」ではどうにもならない。

「テスト」に向けて勉強するのは「本末転倒」。
その「事実」も忘れられて久しい。
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「充実した一日」について

2016-08-08 02:06:47 | Weblog
晴れ。猛暑が続く。

昨日はいつもの老舗バー。

マスターからCDを11枚借りてくる。
あれこれあるので盆休みにゆっくり聴くつもり。

11日から一週間あるのでどうにかなるはず。
まだ借りっぱなしのブルーレイもあるし。

内田樹編「日本の反知性主義」を読む。

それぞれに納得しやすい内容だと思われるものの
実際に「反知性主義」の人物が果たしてこれらを読むかどうかというと微妙。

マル激で宮台真司が「ウヨブタになるよりポケモンGOをやれ」というのに笑う。
もはや「手遅れ」という認識の方に「リアル」を感じる。

アンジェイ・ワイダ「世代」(’55)を観る。

貧しい青年がナチスへの抵抗運動に加わるものの
グループの指導者でありやがて恋人になった彼女を失うお話。

ソ連の占領下での強制移住や「カティンの森事件」があった後
独ソ戦の当初ドイツが勝ったためにその後はドイツの占領下に。

ナチス・ドイツ支配下のポーランドでは英仏の支援を受ける反ドイツ勢力と
ソ連の支援を受ける共産主義系パルチザンがいたようで主人公は後者に属する。

冒頭の長回しのゆっくり回りながら近づいていくキャメラにふむふむ。
らせん階段の映し方はお馴染みのパターン。

それにしても大国の支配に振り回される小国の哀しみをあらためて。
ロマン・ポランスキーが脇役で出演。

引き続きアンジェイ・ワイダ「地下水道」(’57)を観る。

「ワルシャワ蜂起」はソ連に呼びかけられ起きたものの結局支援を受けられず。
その最中ドイツ軍に追い詰められ地下水道を退却する中隊の壮絶な姿を描いた作品。

実に長くパンしていくキャメラがここでも印象的。
それぞれの人物に降りかかる「容赦ない運命」の厳しさよ。

「芸術家」のブラデク・シェイバルの顔が素敵。
「デイジー」テレサ・イジェフスカの「たくましさ」も同様。

「戦争の怖ろしさ」がズシンと腹にこたえる。
この「どうしようもなさ」は誰もが知っておくべきだろう。
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「怠惰と冷たさ」について

2016-08-06 03:27:00 | Weblog
晴れ。暑い日が続く。

深海を調査する内容の本は読んだものの。

関係各位と身近な話に終始して残念。
というよりこういう本を出す意味が不明。

このところ相当に本を選ぶアンテナが鈍っている模様。
もっとちゃんとしないとと思うことしきり。

適当に書架だけを見て選ぶやり方を変えないと思いつつ。
具体的に行動を変えないとなあ。

「濫読」の悪い面が目立っている感じ。
これも「好ましいもの」にめぐり逢うための「コスト」だと思えばいいのか。

「アンジェイ・ワイダ作品」と「人間の条件シリーズ」も待っているというのに。
どうやら「盆休み」に観ることになりそう。

定期的に訪れる「不調」の一種ということで。
そういう「体質」だから受け入れるしかなく。

ところで。

若い知り合いがパートナーが熱中症になったという理由で仕事を「早引け」したとのこと。
自分だったらそうはしないなという感想を抱く。

おそらく「愛情表現」として彼の行動は「正しい」のだろう。

がしかし。

そもそも「熱中症」は重症でなければ時間が解決するもの。
規定時間より数十分早く帰ったところであまり変わりはないような。

なるほど「冷たい人」だと言われるのはそういうわけかと思い至る。
額に冷やしたタオルなど乗せて「大丈夫」などと聞くのがいいのだろう。

すみませんできません。
むしろ「熱中症」になるまで気付かなかったパートナーに「ラクに働け」と言いたかったり。

というより「熱中症」ごときをわざわざ訴えるのがそもそも気にくわない。
なるほど「お付き合い」に向いていない性質をあらためて自覚した次第。
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