晴れ。風が吹く。
「リスク化する日本社会 ウルリヒ・ベックとの対話」読了。
重要なのは従来の「システム」や「世界認識」が崩壊していること。
ただしここには「未来」の「方向性」は見えるものの確かなものはない。
とはいえ「確かなものがないこと」が「当然の条件」になったのは今に始まったことではなく。
その「宙ぶらりん」に耐えながら生きられるかどうかということ。
なんだ、いつもと同じじゃないか。
とりあえずどうやら「過渡期」であるらしい。
人々の「認識」がやがて一致する頃に「世界の姿」はまた「確定」するのだろう。
それが「本当の世界」なのかと言えば「ノー」と言うよりないものの
われわれにはそもそも「世界」を「正しく」認識する力はない。
それぞれがそれぞれに「描くもの」がかろうじて「世界の断片」を示す程度。
できればそれらが「魅力的なきらめき」を持つものであることを祈りつつ。
人が何を見出すのかはその人の「状況」によるもの。
たとえば何かで悲しんでいる時には「悲しい世界」しか見えなかったり。
「メディア」としてのわれわれはかくも「頼りなき存在」で。
そこで「幸福な出会い」があればうれしい。
もちろん相当に「ロマンチック」ではあるけれど
「現実」を知ることができない以上「何がロマンチックなのか」も実はあいまい。
あとはそれぞれがやってみるのみ。
ただしいたずらに「他者」を否定することで「自分」を確立するのはやめにしたいところ。
あいまいであるがゆえにそうなってしまいがちな「傾向」は重々承知の上。
降っても晴れても「日常」は続く。
食べて眠って排泄するのだけは「確かなこと」。
「リスク化する日本社会 ウルリヒ・ベックとの対話」読了。
重要なのは従来の「システム」や「世界認識」が崩壊していること。
ただしここには「未来」の「方向性」は見えるものの確かなものはない。
とはいえ「確かなものがないこと」が「当然の条件」になったのは今に始まったことではなく。
その「宙ぶらりん」に耐えながら生きられるかどうかということ。
なんだ、いつもと同じじゃないか。
とりあえずどうやら「過渡期」であるらしい。
人々の「認識」がやがて一致する頃に「世界の姿」はまた「確定」するのだろう。
それが「本当の世界」なのかと言えば「ノー」と言うよりないものの
われわれにはそもそも「世界」を「正しく」認識する力はない。
それぞれがそれぞれに「描くもの」がかろうじて「世界の断片」を示す程度。
できればそれらが「魅力的なきらめき」を持つものであることを祈りつつ。
人が何を見出すのかはその人の「状況」によるもの。
たとえば何かで悲しんでいる時には「悲しい世界」しか見えなかったり。
「メディア」としてのわれわれはかくも「頼りなき存在」で。
そこで「幸福な出会い」があればうれしい。
もちろん相当に「ロマンチック」ではあるけれど
「現実」を知ることができない以上「何がロマンチックなのか」も実はあいまい。
あとはそれぞれがやってみるのみ。
ただしいたずらに「他者」を否定することで「自分」を確立するのはやめにしたいところ。
あいまいであるがゆえにそうなってしまいがちな「傾向」は重々承知の上。
降っても晴れても「日常」は続く。
食べて眠って排泄するのだけは「確かなこと」。
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