退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「成立するもののとあやしいものあるいは『ひ弱な生き物』」について

2017-10-02 01:28:36 | Weblog
くもり。おだやか。

昨日は久方ぶりの老舗バー。

その前に。

母親はどうにか回復したようでゲートタワーで食事など。
上の妹のリクエストによるもの。

あれこれ迷った挙句ピザ屋に入ったのだけれど
どうにもまともなものを出しているとは思えない。

持ってきた時にすでに冷めている次第。
これで商売になると思っているなら世の中は甘い。

おそらくは冷凍ものを解凍しただけ。
これが「成立する事情」を知りたいもの。

マスターとは昔の映画と落語の話などしつつ
いつもよりちょいと早目に帰宅して爆睡。

客は少々。
いつまで続くことやら。

海原純子「男はなぜこんなに苦しいのか」を読む。

どうやら問題は「自分=こういう存在」という「前提」が崩れる環境にある模様。
あらためて「ひ弱な生き物」であることを認識する。

「世界の複雑さ」に対してはそもそも「受け身」であるしかないというのに。
何かを「コントロール」できているというのがそもそもの間違い。

「心身問題」などという「二項対立」はいかにも男の考えそうなこと。
なぜなら女は「身体という『自然』」と毎日お付き合いしているから。

常に「どうにもならないもの」を抱えていれば
どこかで「なるようにしかならない=現実」に対応するよりない。

それを「ストレス」と感じるか「当然のこと」と感じるかは大きな違いで。

「仕事」しかなければそこに問題が生じると「うつ」になるのはわかるとして
「なぜ仕事しかないのか」という疑問を抱かないのは「知性の欠如」だろう。

繰り返すが「生活」があっての「仕事」。
わが国ではそうした視点があまりになさすぎるような。

コミュニケーションについても同様。
ほぼ相手のいないそれは「壁打ち」でしかなく。

そのあたりを「常識」とした上で少しずつ変わっていくことができれば幸い。
もっとも女子がそこまで付き合ってくれるかという話もあり。

心当たりのある向きは注意していただきたいところ。
個人的には「いまだに修行中」だと言っておく。
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