退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「豊かさと貧困の極み」について

2017-10-03 01:59:58 | Weblog
くもりのち雨。深夜に止む。

森耕治「マグリット 光と闇に隠された素顔」を見て読む。

本のサイズとデザイン、控えめながら対象への愛情あふれる文章が素敵。
もちろん個々の作品についても同様。

ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット、ベルギー生まれ。
若き日には「やんちゃ坊主」でいたずらの限りを尽くした画家。

父親の放蕩と母親の自殺がもたらした「闇」を抱えつつ。
彼が描いた「光」はさまざまに。

「光の帝国」も悪くないけれど「血の声」の「静謐ぶり」が好き。
それらについてはこちらまで。

久方ぶりに「目の保養」をした感じ。
もっとも魅力はそれだけではないので興味がある向きは是非。

著者の「謎解き」の優雅さよ。
「そっと寄り添う感じ」が何とも。

さまざまな画家についてもこうした作品があるとありがたいのだけれど。
この種の「豊かさ」に触れると問答無用に幸せな気持ちになる。

その一方。

衆議院選挙前のゴタゴタぶりを目にして。

いずれについても好ましさのかけらもなく。
ただし今回の騒動で民進党がきちんと割れたのはよかったかも。

政治家が「選挙に落ちたらタダの人」というのは正しい。
ただし「日頃の活動」もないままに「落ちたくない」のはさもしいだけ。

「立憲民主党」の枝野の力量が問われることになるのか。
「タフなリベラル」をどこまで示せるのかが肝腎なような。

それにつけても「政局ネタ」をいたずらに盛り上げるマスコミの体たらくときたら。
「有権者」に「まともな判断材料」を提供する気は一切なさそう。

まるで「社内の人事」だけに興味がある「ダメサラリーマン」。
問題は「人事」ではなく「仕事の中身」だろうに。

この「貧困の極み」は昔から変わらず。
所詮「羽織ゴロ=羽織を着たゴロツキ」と言われても仕方なかろう。

youtubeで勘違いな「過激ぶり」を見せる輩とどこが違うというのか。
味噌汁で顔を洗って出直して来いとついつい言いたくなる次第。

宍戸錠の台詞を借りれば「ヒドさもヒドし」。
ついでに「チッチッチッチ」と人差し指など振っておくことにする。
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