退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「雨の後の綠の美しさと散歩の結果あるいは『最怖の母』と家族の『お付き合い』」について

2019-05-02 01:29:07 | Weblog
雨のちくもり。午後に止む。

久方ぶりに繁華街を散歩する。

雨の後の緑が美しい。
とりわけお堀周辺がいいかも。

エコキップを買ってあちこち行くつもりが結局歩くことに。
途中でいつもとは別のドトールへ。

ジャンナ・レヴィン「重力波は歌う」を半分くらい読む。

原題は「Black Hole Blues」でちょいとオシャレな感じ。
ただし内容はそれぞれの科学者の過去といった趣きで今ひとつ。

その後駅前のタワービルの様子を探り。
三省堂を見つけて橋本治「父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない」を買って読む。

「スターウォーズ」や「バットマン」「ゴッドファーザー」シリーズの読み解きにふむふむ。
「アメコミのヒーローには父親がいない」という指摘が面白い。

次々に起きる「事件」についても同様に。
「外の世界」とは無関係に「組織内」を生きる「オヤジたちのダメさ」をあらためて。

返す刀で「女政治家たちのダメさ」も。
まるで「自らの失敗」がなかったかのように振る舞う小池百合子がその「代表」。

ここでも「人材不足」がポイントだったよう。
「権力を握るまでは圧倒的にヒマ」なのだからきちんと努力をせいと。

その「当然」がなぜかどこでも行われない「不思議」よ。
「事前準備」を十分にせぬまま「勝負」すれば負けるのは必至。

そこに「男女の差」はないという「事実」が浮かび上がる。

ダーレン・リン・バウズマン「マザーズデイ」(’10)を観る。

監督は「ソウ」シリーズを手がけた人。
その「エグいパターン」は本作にもあれこれ。

「ゆりかごを揺らす手」(’91)のレベッカ・デモーネイが「最恐の母」に。
「不妊症」という現実を赤ん坊を誘拐し洗脳しながら育てるという方法で「クリア」。

「彼女の主張」に従っていれば何事も起きなかったはずだが
そのハードさに他人はついつい反抗することになり。

そもそも発端は一番上の息子が母親の言いつけを守らずケータイを失くしたこと。
被害者たちにとっては「最悪の偶然」でしかなく。

この「あまりな底抜けぶり」には驚くのみ。
ラストは予想通りなのでお楽しみに。

さて。

明日は「早朝」から藤の花を観に家族で出かけることに。
「残念な叔母」も参加予定。

めんどくさいこと極まりなく。
粛々と「お付き合い」するよりない。
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