退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「共感できるところの少なくない映画評論家と『決断を迫る現実』を描く作品あるいは『ヒーローの苦悩』と『元号騒動のバカバカしさ』について

2019-05-01 02:37:07 | Weblog
雨のちくもり。持って出かけた傘は無駄に。

「勝負 ニッポン映画評」読了。

ドトールとコメダをハシゴして。
テレビが下らないので本書を読み続けてどうにか。

第一章の「ロマンポルノ論考」を潜り抜け。
第二章の「ニッポン映画評」でどうにか知っている作品群に出会う。

当時の雰囲気を思い出しつつ
自分がいいと思った作品が高評価されているのにうなずく。

本書で残念なのは索引がないこと。
それさえあればいつでも確認が出来るのに。

たとえば「ヌードの夜」(’93)「生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」(’85)
「ゆきゆきて、神軍」(’87)「鉄男」(’89)など。

とりあえず思いついた分だけ。
それ以外にもあれこれあるのだけれど。

「鬼畜大宴会」(’98)などという作品も懐かしい。
当時住んでいた近所のビデオ屋にあってなぜか借りてきたもの。

最近はgyaoばっかり。
ビデオ屋のカードをあらためて作るべきか。

ギャヴィン・フッド「Eye in the sky」(’15)を観る。

ヘレン・ミレンが観たくて。
「空の目」を持つ人々がテロリストの殲滅とひとりの少女の命を天秤にかけるお話。

「空の目」は「偵察用のドローン」と「昆虫型ドローン」がもたらすもの。
軍事的行動と文民の「摩擦」もあって。

チャーチルがドイツによる自国への空襲の場所を知りながら
それを敢えて「知らないふり」をした過去を思い出し。

「自爆テロによる被害予想80人」と「今現在のひとりの少女」との比較よ。
結局は「コラテラルダメージ=付随する犠牲」の推測の数値だけが「決断」の行方を左右し。

こういう「現場」があることは知っておこう。
「手を汚さずには生きられない現実」を。

もっとも勘違いしてもらいたくないのは「これこそが『現場』」なのだという考えだったり。
何が人々をここまで追い詰めるのかをきちんと考えないとどうにも。

引き続きサム・ライミ「スパイダーマン3」(’07)を観る。

そうかこんなことになっていたのかと思った次第。
「2」までは観ていたので。

スパイダーマンの人気は高まる一方彼女は舞台をクビになり。
「いい気」になる主人公とそうでもない彼女の「すれ違い」など。

やがて宇宙からやってくる「黒い生き物」がスパイダーマンを犯し。
「戦い」の後に記憶喪失になった親友はやがて記憶を取り戻し。

「物語の収束のかたち」は作品を観る前にわかっているのだから
それをどう見せるのかかが監督の腕前だろう。

「砂男」になるキャラクターがどうも「物語」とうまく結び付いていない。
この部分がなければむしろ90分くらいでまとまったような。

キルステン・ダンストのドイツ風の顔をどう評価するかもポイント。
撮影途中にいくぶん太った感じも見受けられたのだけれど。

「ヒーロー」にも実は「苦悩」があることを知れば「天皇」についても同様に。
それにしても今回の「元号騒動」にはうんざり。

「人事を尽くして」こそ「天命を待つ」のが「当然」だろう。
自分以外の「何事か」に託す「未来」などいらない。

「同じ映像」を何度も繰り返して見せられる「不快さ」にもっと敏感に。
それはマスコミの「情報収集能力の無さ」でもあるのでよろしく。
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