退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『リベラル』が『豊かさ』に支えられていることと車がロボットになる映像が魅力的な映画」について

2024-07-28 03:27:56 | Weblog
晴れ。35度がマシと思える日々。

本切れで中野信子・三浦瑠麗「不倫と正義」を再読。

有名人の不倫が叩かれる一方で巷の不倫はおそらく「わんさか」。
互いに問題ないならいいじゃないのと。

自らの「不全感」を他者にぶつけてカタルシスを得るのは貧しく。
そもそも「不倫って何」という疑問もあり。

「一夫一婦制」が「男子にとっての『救い』」であるのを忘れずに。
とはいえ「つがい」にならなければならないのかどうか。

結局自分が楽しく生きることが大事なだけ。
その「余裕」があればこそ他人の不幸に「共感」出来るはず。

「恒産なくして恒心なし」とはこのことか。
なるほど「リベラル」とは「ある程度の豊かさを持つ者の考え方」らしい。

マル激を観る。

今回は欧州の現実について。
「かつて幸福だった頃のあれこれ」が失われたのはなぜかという疑問が浮かび上がり。

アメリカも同様に「特定の時代のそれ」が求められることに。
どうやらこの種のことは「世界共通」だったり。

一方でわが国はと言えば。
そんなこととは無関係に「大谷やオリンピック」に夢中になるのみで。

「経済的に苦境に陥った時」に。
人は自分のせいではなく他人のせいにしたがる「癖」がある。

「余裕のある者たち」はそれを「いけないもの」だとするけれど。
「余裕のない者たち」が増えればそうも言っていられず。

「正しさ」に安住出来ないことを知っておこう。
それにこだわるゆえに「左派」が常にバラバラであることも。

「感情」に訴えながら「真っ当さ」を維持出来る「懐の深さ」が求められる模様。
残念ながらそんな「保守」を可能にする人物はわが国には皆無。

マイケル・ベイ「トランスフォーマー」(’07)を観る。

そう言えば「観てなかったな」と思って。
「車がロボットになる映像の魅力」をあらためて。

「冴えない男子」が「魅力的な女子」となかよくなるお話でもある。
「ロボットのエイリアンの登場」を仲介にしないとそんなことは起きないか。

ジョン・ヴォイトとジョン・タトゥーロが脇を支え。
「マトリックス」(’99)のヒューゴ・ウィーヴィングは「メガトロンの声」で。

バンブルビーと主人公シャイア・ラブーフとの「友情」も忘れずに。
わが国がまだ世界で技術的に評価されていた時代だったのも同様に。
コメント
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