退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「便利さの裏側」について

2016-01-26 03:00:30 | Weblog
晴れ。朝には少し雪も。

慎武宏・河鐘基「ヤバいLINE 日本人が知らない不都合な真実」を読む。

国内ユーザー数が約5800万人というアプリの始まりはどうやら韓国。
もちろん急成長だけれど背後にコンプライアンス無用の企業風土も。

「閉じたコミュニケーション」によって「いじめ」を増幅している面など。
子どもだけでなく「ママ友」の間でもそうらしい。

「嫌韓」の風潮ゆえ敢えて「韓国発信」であることを避けたとも。
「東北大震災」をきっかけに開発が急がれた事情もあった模様。

個人的には使用していないのでアプリそのものに関する詳細は不明。
おそらく今後も使う予定はなく。

そもそも「いつでも連絡が取れるという道具」そのものが煩わしく
普段はガラケーの電源さえ切っている時間が長いというタイプなので。

「四六時中つながること=コミュニケーション」という前提に立てば便利なのだろうが
「既読の有無」によってリアクションを強制されるのはめんどくさいのみ。

「いつでも連絡が取れる=こちらの事情に関係なく踏み込まれること」だと思えば
その「鬱陶しさ」もわかろうというもの。

警察や消防のように「緊急出動」が要請される仕事ならまだしも
そうでないのにもかかわらず「同じ環境」にいる意味が不明で。

「付き合い方を十分に考えるべき道具」であることは確か。
いたずらに「コミュニケーションを広げること」が犯罪につながることもあり。

言語あるいは表現能力、感情の劣化を思えば「有害な面」も少なくないはず。
面と向かっていないだけに表現も過激になりやすく。

あらためて「他人との距離感」を思ってみてもいいのではないか。
もちろん「役に立つ使い方」があることは否定しないけれど。

「友だち地獄」に否応なく放り込まれる前に
「干渉されない自由」という視点を思い出そう。

電話のベルは無視することができるが「既読」はそうはいかない。
「グノシー」とやらはそれをテクニカルに解決する宣伝を盛んにしていたけれど。

繰り返すが「手近な便利さ」に溺れるとロクなことがない。
その種の「危険性」については十分に知っておきたいところ。
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