退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「相談が時代を問わず『愚か』であることと能登半島の現実あるいは欧州の現実を描いた映画」について

2024-01-22 02:44:06 | Weblog
雨のち晴れ。風が吹く。

上野千鶴子「まだまだ身の下相談にお答えします」を読む。

「昭和の残骸」と同時に。
いつの時代も「相談」というものは愚かしく。

基本は「自分の思い通りに生きればええやん」ということなのに。
それが出来ない人々は多く。

人はそれぞれに「他人」であること。
その「当然」がどうやら理解されていない模様。

好ましくない人物との関係は家族であろうと切ってよし。
自分が楽しく生きていなければ他人に何も出来ないこともあらためて。

「失敗」をするから人は「賢くなる」はず。
その「学習能力」だけは確保しておきたいもの。

NHKスペシャル「能登半島地震 いのちの危機をどう防ぐ」を観る。

マル激で迫田朋子の「予告」を知ったので。
「被災地の現実と問題点」はそれなりに描かれたのだと思われる。

「二次避難」と言われても簡単に出来ない人々がいて。
「故郷と人のつながり」がある地元から離れたくない高齢者も少なくなく。

障害者や外国人の現実もあり。
感染症が広がる中でダンボールベッドの活用の意味を教えてくれたり。

とりわけ「福祉」に関しては法律上「災害時の準備」が出来ていない事実も。
「希望」を届けた上での「援助」が重要なのも忘れずに。

ウラー・サリム「デンマークの息子」(’19)を観る。

本作はデヴィッド・クローネンバーグ「デッドゾーン」(’83)を思い出させ。
もちろんテーマは「人種差別」だから異なるのだけれど。

移民排斥を訴える政党が支持率を上げる中。
ハッサンの「片腕」アラブ人のマリクはザカリアを救おうとする。

結果的に極右政党の党首を救うことになり。
ただし彼の人気はうなぎのぼりでマリクの家族にも危険が迫り。

冒頭のテロを描いたところからわかるのは。
自分の大切な人を殺されると人は「復讐」に命を賭けたりすること。

北欧でこの種の現実があるのを知っておこう。
「報復=殺し合い」には「キリがないこと」も。

ガザにおけるイスラエルの遣り口はどう考えても「新たなテロリスト」を生むだけ。
「『敵』を殺してはいけない」という「ルール」に気付かないとどうにも。

かつてのアイルランド紛争を見ればそのことは明らかなはずなのに。
それにつけても。

われわれに「学習能力」はあるのだろうか。
「被災地のそれ」をどうにか活かしたいもの。
コメント
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