退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「未来と隠された過去あるいは現在」について

2015-08-07 02:20:52 | Weblog
くもりのち晴れ。今日も仕事場の夜風にいくぶんの涼あり。

ミチオ・カク「2100年の科学ライフ」を半分ほど読む。

「コンピュータの未来」で興味深いのは「ムーアの法則の終焉」。
「毎年性能が2倍になる」という「右肩上がり」が終わったらどうなるのか。

「人工知能の未来」では「人工知能」を賢くする作業より
人間がロボットと融合する方がいいかもというあたりにふむふむ。

「医療の未来」は「不死」に向かう模様。
もっともそれが本当に可能になればむしろ厄介だったり。

ロボット分野におけるわが国の優秀さをあらためて確認する。
とはいえ圧倒的な「少子高齢化」に対応できるのかどうかなど。

とりあえず明日続きを読むのが楽しみ。

深夜NHKスペシャル「日航ジャンボ機事故 空白の16時間」を観る。

事故数分後の地元の農家の女性による墜落現場報告が実は一番正確だったこと。
その後自衛隊のヘリも現場を確認したもののいずれも生かされなかった事実に愕然とする。

生存者のひとりによると事故後しばらくは他にも生存者がいたことは確かで
救助隊がもう少し現場に早く着いていればと思わざるをえず。

何より怖ろしいのはこれらの事実を事故調査委員会が明らかにしなかったこと。
遺族の問いかけに対し数年前の後追いの報告では「資料が残っていない」とも。

「事実を明らかにできない体質」の背後にあるのは「責任追及のあり方」。
特定の個人を責めるより「なぜそうなったのか」を優先しないと。

それが変わらないと「自分への非難」を避ける個人は「証言」をしなかったり
「自分に都合のよい話」しかしなくなるのは必然。

齢九十を過ぎた遺族の父親が「自らの非力」を責める姿よ。
事故や災害、そして戦争の「酷さ」をわれわれはあらためて知る必要がありそう。
コメント
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