退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「哀しい郊外と喫茶店」について

2015-08-04 02:54:25 | Weblog
晴れ。仕事場の夜風がいくぶん涼しい。

三浦展・藤村龍至編「現在知vol.1 郊外 その危機と再生」を読む。

興味を惹かれたのは三浦展、馬場正尊、水無田気流、速水健朗の座談会と
上野千鶴子のインタビューのみ。

とりわけ後者の指摘
「建築家は、すごく身体拘束的、空間拘束的にものを考えますよね」にふむふむ。

「ハコモノ」で人を操作しようとするのではなく
「人を動かすソフト」をもっと採り入れるべきだというのにうなずく。

個人的には「郊外」は「隠れる場所のないところ」という印象が強い。
「妙に真面目な人々が多い地域」というのも同様に。

その「息苦しさ」をいかになくすかがおそらくはポイント。
「悪場所」をきちんと用意しておかないと人はもっと「怖ろしいこと」をする。

たとえば先日「ドキュメント72時間」で採り上げられていた
「田んぼの中のオアシスホテル」のような場所がないと。

ここでも問題になるのは「横のつながり」を持ちにくい男たち。
仕事以外に何もない生活をあらためて考える必要がありそう。

そしてそうした働き方しか許さない企業で
「幻想の安定」を求めていたずらに消耗するのはいい加減によした方がいい。

その一方。

TVなどで紹介された店がちょいと繁盛すると陥りがちな「罠」について。

忙しくなれば当然バイトの数を増やすことになるのだが
残念ながら今どきのバイトは「使い物」にならないことが多く。

とりわけ店長が休みの日には「適当な仕事」しかせず
「イメージ」に吸い寄せられた客もその実態に思わず足が遠のくという次第。

人口減少が必須のわが国において
「店舗数拡大路線」に大した意味があるとは思えない。

むしろ「きちんとしたサービス」を提供することで
「短期的な利益」でなく「長期的な利益」を確保するのが「当然」ではないのか。

「オシャレな内装」はいいとしても肝心の「食べ物」の質が悪くてはどうにもならない。
各地の喫茶店でありがちな「パサパサなサンドイッチの哀しさ」よ。

誰にでも揚げられるポテトフライなどどうでもいいので
せめて「しっとりしたパンにそこそこの具」をはさんで提供していただきたいもの。

とにかくまともに商売をする気があるのかと思うことしきり。
客をナメているとやがてヒドい目に遭うはずだと言っておこう。
コメント
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