さてさて、山を登り切りやっとこさ遺構をすべて制覇したと思った矢先、
実はさらに奥にまだいくつか遺構が残っていることを知った私たち。
この時点で残り時間30数分。さてどうする?
行くしかないでしょう?
というわけで、今登った坂をどんどん下る。
そう、この下りがさらなる登りの序章でないことを祈りつつ。
ですがそんな私の心配事をあっさり裏切り、
発電所跡
砲弾庫跡
そして
北部砲台跡
とあっさり登場!
どうも、北端部は浜に近い場所に建てられていたようでした。
(よかった~♪)
あいにく発電所跡と砲弾倉跡は周辺が沼状態だったため近寄れませんでしたが、
砲台跡のその美しさと立派さはそれを補って余りあるほどでした。
造りの丁寧さももちろんだけども、なんなのこの見事なシンメトリー!
軍事施設なのに…
(いや、考えれば実用施設だからこそその必要があったのか。)
でも、知らずに見たら、舞台か宗教施設に見えなくもないよね。
でも実はこの施設はかって破壊されそうになったことがあるのです。
それは大正期、空軍の空爆演習時、
既に不要となっていたこの施設がその標的に!
ですが、幸か不幸か演習は失敗に終わり、
多くの爆弾は近海に落ちて、ここは破壊を免れました。
それでも一部は破壊され、その部分は今もそのまま残され、
当時の爆撃の激しさをまざまざと見せつけてくれます。
というわけで…
先ほどの美しい砲台からほんの数メートル北側へ行くと、
ああ!メチャクチャに破壊されてる!
大きなコンクリート片が散らばりったままで、
ぶっとい鉄骨がグニャリ!
こちらは今でもめちゃくちゃ硬く、ちょっとやそっとでは曲がらなさそうなのに、
それがこんなに曲がっているなんて!
(というか、100年前の鉄がまだ現役並みの強度だなんてどういう事?)
その様子に驚いていると…
え?!これは爆風で裂けてしまったの?
これはすごい…
余りの迫力に、爆発のすさまじさを疑似体験できました。
しかし、こういう状況をこの様に当時のまま置いているというのは、
おそらく他には無いのではないでしょうか?
だから、そういう意味でも本当に貴重だと思います。
そしてまたこの状況を保ってくださっておられる、
そういう地元の方々の日々の努力と御苦労にも頭が下がる思いです。
(でないと、こんな状況一気に草ボーボーで崩れてしまっている!)
さてさて、これでやっと完全制覇!
ヽ(^∀^)ノ
とそう思ったら!
「まだ上に司令塔があるけどどうします?」
えええ~~~~~~~~~!
それで上に向かう階段をひょいと見上げれば、
先ほどの階段同様、天へも届けといわんばかり!
まあ、こりゃあれだ。
登るのは全くやぶさかではないけれど、
多分先ほど同様だろうし、そうなるとまたわしは半裸にならねばいかんし、
でも今はもう汗が引いてるから風邪をひきかねないし…
それになによりね、
ほれ、時間がね~。
船の時間がね~!
惜しいな~。
時間に余裕があればこんな階段、ほいほいほいっと、何度でも往復できるのに~!
というわけで、登るふりだけして港に戻ることとなりました。
(=^^=)ゞ
で、何やかんやですべてを巡った感想としては、
なんと大掛かりな事業であったのかということ。
ここの施設の造りはすごく丁寧だし、スケール的にも大きい。
それゆえに私には一つ疑問がありました。
「これって日露戦争の時の施設でしょう?
日本海側ならいざ知らず、なぜ瀬戸内のこんなところにも大掛かりな要塞を築いたの?」
私がそう不思議がっていると、あめさんが、
「それだけ当時の日本は、危機感を持っていたということですよ。」
と、そしてまた続けてこうも、
「翻って今の危機感の無さと言ったら…」
ほんと、ほんと、軍拡を国の威信と思い込み好き放題する国や、
平気でミサイルを打ってくるそういうのが隣国なんだから。
それにしても、本当にどの施設も驚くほどに出来が素晴らしかった。
手つかずのまま100数年過ぎているというのにしっかりしているなんて!
なんでも昔が良かったという気はないけれど、
こういうのを見ると、当時の人々の真面目っぷりと勉強熱心さがひしひしと伝わってきます。
そしてまたこれもあめさんの弁ですが、
これらすべての施設を作り、そして使いこなしていたのが、
実は江戸時代からほんの30数年後なんですよ。
これはぜったいに異常!
当時の日本人がいかに学び、努力したかがうかがえますよね。
まさしく!
だからこそ、途中島で出会った方々も、
無償で清掃等されておられつつも、
みな一様に、誇らしげにあれこれ語ってくださったんですね。
(*^人^*)
というわけで、興奮と運動で火照った体を冷ますべく、
帰りは海沿いの周回路で港へ向かうことに。
とはいえ、堤防の上を舗装したこんな感じの道。
途中一緒の船の乗り合わせたおじさんが釣り竿をを振っておられたので、
「なにが釣れるんですか?」とたずねると、
アオリイカ?!
(生きているのは色がさまざまに変化してめちゃ綺麗!)
こんなのが、岸からルアーで釣れるんだ!
なんとまあ豊かな海なんでしょう!
そんな感じで寄り道してたら、いよいよ時間が迫ってきた!
でもどうにかこうにか間に合って、無事船より先に元の港へ。
で、落ち着いて周りを見渡すと…
なんとも古くて雰囲気の良い木造二階建て!
で、近寄ってよく見ると…
なるほど、昔は旅館兼食堂をされておられたのか。
かっての店先に、今はお年寄りの肌着などが物干しざおで干されていますが、
昔はかなりにぎやかだったんでしょうね。
そういや、島で出会った方々もみなさん年寄りばかりだったし、
途中いくつかの廃屋も見かけた。
今後若者がどんどん増えるということはなさそうだけれども、
せめて、先ほどの施設などで盛り上がって、島にお金が落ちてくれればなと、
そう思いつつ、島で唯一の自販機でジュースを一本買いました。
で、そうそう、前回心配していた島民用飲料水の件ですが、
じつは港で偶然水道局の方と居合わしたので尋ねてみたんです。
するとなんと、海峡を越えて水道管を渡しているのだとか!
すげ~~!
だからつい…
「しょっぱくなりません?」
「わははは!それはないですよ。」
「ですよね~。」
「おや?その恰好は…」
「はい、バイクできました。」
「すると港に置いてあった大阪ナンバーのバイクの方々ですか?」
「はいそうなんですよ!」
「いいな~、私も小さいバイク欲しいんですよね。」
「小さいのは最高ですよ!」
「で、今日は四国巡りですか?」
「いや、瀬戸内海横断なんですよ。」
って、
ちょっと待て!
今回まだ一つも橋を渡ってないぞ!
ちゅうか、バイクのツーレポのはずなのに、ほとんどバイクで走ってない!
というわけで、いよいよ次回走り出します。
つづく
実はさらに奥にまだいくつか遺構が残っていることを知った私たち。
この時点で残り時間30数分。さてどうする?
行くしかないでしょう?
というわけで、今登った坂をどんどん下る。
そう、この下りがさらなる登りの序章でないことを祈りつつ。
ですがそんな私の心配事をあっさり裏切り、
発電所跡
砲弾庫跡
そして
北部砲台跡
とあっさり登場!
どうも、北端部は浜に近い場所に建てられていたようでした。
(よかった~♪)
あいにく発電所跡と砲弾倉跡は周辺が沼状態だったため近寄れませんでしたが、
砲台跡のその美しさと立派さはそれを補って余りあるほどでした。
造りの丁寧さももちろんだけども、なんなのこの見事なシンメトリー!
軍事施設なのに…
(いや、考えれば実用施設だからこそその必要があったのか。)
でも、知らずに見たら、舞台か宗教施設に見えなくもないよね。
でも実はこの施設はかって破壊されそうになったことがあるのです。
それは大正期、空軍の空爆演習時、
既に不要となっていたこの施設がその標的に!
ですが、幸か不幸か演習は失敗に終わり、
多くの爆弾は近海に落ちて、ここは破壊を免れました。
それでも一部は破壊され、その部分は今もそのまま残され、
当時の爆撃の激しさをまざまざと見せつけてくれます。
というわけで…
先ほどの美しい砲台からほんの数メートル北側へ行くと、
ああ!メチャクチャに破壊されてる!
大きなコンクリート片が散らばりったままで、
ぶっとい鉄骨がグニャリ!
こちらは今でもめちゃくちゃ硬く、ちょっとやそっとでは曲がらなさそうなのに、
それがこんなに曲がっているなんて!
(というか、100年前の鉄がまだ現役並みの強度だなんてどういう事?)
その様子に驚いていると…
え?!これは爆風で裂けてしまったの?
これはすごい…
余りの迫力に、爆発のすさまじさを疑似体験できました。
しかし、こういう状況をこの様に当時のまま置いているというのは、
おそらく他には無いのではないでしょうか?
だから、そういう意味でも本当に貴重だと思います。
そしてまたこの状況を保ってくださっておられる、
そういう地元の方々の日々の努力と御苦労にも頭が下がる思いです。
(でないと、こんな状況一気に草ボーボーで崩れてしまっている!)
さてさて、これでやっと完全制覇!
ヽ(^∀^)ノ
とそう思ったら!
「まだ上に司令塔があるけどどうします?」
えええ~~~~~~~~~!
それで上に向かう階段をひょいと見上げれば、
先ほどの階段同様、天へも届けといわんばかり!
まあ、こりゃあれだ。
登るのは全くやぶさかではないけれど、
多分先ほど同様だろうし、そうなるとまたわしは半裸にならねばいかんし、
でも今はもう汗が引いてるから風邪をひきかねないし…
それになによりね、
ほれ、時間がね~。
船の時間がね~!
惜しいな~。
時間に余裕があればこんな階段、ほいほいほいっと、何度でも往復できるのに~!
というわけで、登るふりだけして港に戻ることとなりました。
(=^^=)ゞ
で、何やかんやですべてを巡った感想としては、
なんと大掛かりな事業であったのかということ。
ここの施設の造りはすごく丁寧だし、スケール的にも大きい。
それゆえに私には一つ疑問がありました。
「これって日露戦争の時の施設でしょう?
日本海側ならいざ知らず、なぜ瀬戸内のこんなところにも大掛かりな要塞を築いたの?」
私がそう不思議がっていると、あめさんが、
「それだけ当時の日本は、危機感を持っていたということですよ。」
と、そしてまた続けてこうも、
「翻って今の危機感の無さと言ったら…」
ほんと、ほんと、軍拡を国の威信と思い込み好き放題する国や、
平気でミサイルを打ってくるそういうのが隣国なんだから。
それにしても、本当にどの施設も驚くほどに出来が素晴らしかった。
手つかずのまま100数年過ぎているというのにしっかりしているなんて!
なんでも昔が良かったという気はないけれど、
こういうのを見ると、当時の人々の真面目っぷりと勉強熱心さがひしひしと伝わってきます。
そしてまたこれもあめさんの弁ですが、
これらすべての施設を作り、そして使いこなしていたのが、
実は江戸時代からほんの30数年後なんですよ。
これはぜったいに異常!
当時の日本人がいかに学び、努力したかがうかがえますよね。
まさしく!
だからこそ、途中島で出会った方々も、
無償で清掃等されておられつつも、
みな一様に、誇らしげにあれこれ語ってくださったんですね。
(*^人^*)
というわけで、興奮と運動で火照った体を冷ますべく、
帰りは海沿いの周回路で港へ向かうことに。
とはいえ、堤防の上を舗装したこんな感じの道。
途中一緒の船の乗り合わせたおじさんが釣り竿をを振っておられたので、
「なにが釣れるんですか?」とたずねると、
アオリイカ?!
(生きているのは色がさまざまに変化してめちゃ綺麗!)
こんなのが、岸からルアーで釣れるんだ!
なんとまあ豊かな海なんでしょう!
そんな感じで寄り道してたら、いよいよ時間が迫ってきた!
でもどうにかこうにか間に合って、無事船より先に元の港へ。
で、落ち着いて周りを見渡すと…
なんとも古くて雰囲気の良い木造二階建て!
で、近寄ってよく見ると…
なるほど、昔は旅館兼食堂をされておられたのか。
かっての店先に、今はお年寄りの肌着などが物干しざおで干されていますが、
昔はかなりにぎやかだったんでしょうね。
そういや、島で出会った方々もみなさん年寄りばかりだったし、
途中いくつかの廃屋も見かけた。
今後若者がどんどん増えるということはなさそうだけれども、
せめて、先ほどの施設などで盛り上がって、島にお金が落ちてくれればなと、
そう思いつつ、島で唯一の自販機でジュースを一本買いました。
で、そうそう、前回心配していた島民用飲料水の件ですが、
じつは港で偶然水道局の方と居合わしたので尋ねてみたんです。
するとなんと、海峡を越えて水道管を渡しているのだとか!
すげ~~!
だからつい…
「しょっぱくなりません?」
「わははは!それはないですよ。」
「ですよね~。」
「おや?その恰好は…」
「はい、バイクできました。」
「すると港に置いてあった大阪ナンバーのバイクの方々ですか?」
「はいそうなんですよ!」
「いいな~、私も小さいバイク欲しいんですよね。」
「小さいのは最高ですよ!」
「で、今日は四国巡りですか?」
「いや、瀬戸内海横断なんですよ。」
って、
ちょっと待て!
今回まだ一つも橋を渡ってないぞ!
ちゅうか、バイクのツーレポのはずなのに、ほとんどバイクで走ってない!
というわけで、いよいよ次回走り出します。
つづく
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