さて、そういうわけで我が家にきたジョイですが、
前述のようにプーさんにこそ従いますが、
何もかもがパワフルで、男の私はまだしも、
女性の奥さんでは手に余るほど!
「だめじゃないの!」
「は~い。」
だから悪い時はケージに閉じ込めたりするのですが、
「うひゃ!捕まっちまったぜ!」
「でも、そんなの関係ねェ~♪」
と全く反省の色を見せません。
そこで、奥さんは信頼できる犬の調教師さんを探し、
結果「帝塚山ショードッグ&しつけスクール」の欽司先生のもとで
ジョイは週に3回お勉強することとなりました。
この効果はてきめんで、ジョイは日増しにお利口になり、
そしてまた、いろいろなことを覚えるのが嬉しいのか、
顔つきもどんどんキリっと凛々しく変わっていきました。
またこのお勉強はジョイだけにとどまらず、
犬を飼う私たちの側の勉強でもあり、
いろいろと大切なことを先生から学ばせていただきました。
ただ一緒に楽しく遊ぶだけでなく、あの子たちの生活、生き方を尊重し、
そのために私たちの側ができること、しなければいけないこと、
そして、それら全般についていかに責任があり、それをしっかり持てるかを常に考えるということ。
ですので、ある意味ジョイのおかげで、今の私たちの考え方などがあるともいえますし、
実生活面においても、先生の勧めで、プーさんはドッグショーに出場し受賞したり、
また、出産し、ぽちとかりんが誕生したりすることとなったので、
のちの我が家の生活に大きな影響を与えることにもなりました。
(まさに今の生活はジョイがいたからこそ。)
そんなわけで、飼い主の私も、ジョイをいかにして満足させ、
そしてお互いにストレスなくのびのび過ごせるか、
そんなことを考えながら散歩などをするようになりました。
朝は早起きし公園まで走っていき、そこでボール遊びや、水遊び。
日中は店番の合間に、公園まで自転車でダッシュし、
そこで滑り台やうんてい、タイヤ跳び。
夜は夜で、ボール遊びや、タオルの引っ張りっこ。
大体一度の散歩で2キロは走らせるから、一日最低6キロは走り回っておりました。
また休日は「スペシャル」と題して、往復8キロの散歩コースもとても喜び走っておりました。
思えばこのころのこれらの運動が、
ジョイの体を頑丈に作り上げてくれたので、
後々病気になったり、寝たきりになることなく、
安らかに旅立てたんだと思っています。
またジョイの両親や兄弟たちも、幸い近所にいたものだから、
毎朝公園に集合しては、大きな声を出しながら一緒に走り回ることができ、
毎日本当に楽しく過ごしておりました。
無論遠く離れた地へもらわれていた妹たちもいたのですが、
そちらからは定期的に写真を添えたお手紙が届き、
生家のMさんが定期的にそれらとみんなの写真を一枚のカラーコピーにまとめ、
私たちに配布してくださったので、
それがまるでジョイ家の新聞のようですごく楽しみでした。
さて、このころになると、もう以前のわんぱく坊主は収まり、
家の中でも悪さをすることはほとんどなくなり、
家族に対してはもちろんですが、表で出会う人やほかの犬たちに対しても、
まず吠えることなくフレンドリーな態度で接するとても穏やかな優しい子になっていました。
これが、この子の本来の性格だったんですね。
だから、どこに連れ出しても、
万が一小さな子がふいに寄って来て触っても、
安心して見ていられる、そういうジョイなのでありました。
だからかな?
その後年をとってもほかのわんこ達からモテモテで、
あちこちで待ち伏せされたり、つけまわされたりと大人気でした。
(「モテモテのジョイ」参照)
でも、拾い食いと盗み食いの癖だけは収まらず、
時には、サツマイモ一袋をケージの柵越しに引きずり込み
全部食べてしまったこともありました。
そんなんジョイですからその後 ぽちや かりんが生まれても、
いじわるするどころか、
「ぷーねえさんが増えた?」
とややビビり気味。
だから ぽち&かりんなどはジョイを舐めきり、二匹がかりで追い立てる追い立てる!
そういうわけで、それまでの様に自宅で私と遊ぶと、
反対に、子犬たちに焼きもちを焼かれ総攻撃に遭うために、
私とジョイは家で遊ぶ時は、もっぱら店の二階の空き部屋で、
タオルの引っ張り合いなどをして遊び、
その後、おやつのジャーキーを一枚食べてから階段を下り、
自分の寝床でくつろぐようになってました。
だからジョイは店の二階が大好きで、
足腰が弱り階段の上り下りができなくなってからも、
私がふと階下を覗くと、そこでじっと上を見上げておりました。
そう言えば、去年の終わりだったか今年の初め頃だったか…
私が二階でジョイのシーツや衣類を洗濯していたら、
もう階段を自力で登れないと思っていたジョイが、
テケテケと登ってきて、私の後ろでしっぽを振っていたのを見て、
ものすごく驚いたことがありました。
でもその時はもうタオルを差し出しても遊びたがらず、
おやつをねだっていたので、抱きかかえ階段を下り、
いつもの場所でおやつを与えました。
そういう優しい性格と、おおらかさもあり、
ジョイはご近所でも顔なじみがどんどん増えていきました。
「プチプチで梱包されてもおおらか~♪」
(「お包みいたします」参照)
しかし大きくなっても甘えたさんで、
例えば店番している際、うっかり店内で「ジョイ」と名前を出そうものなら、
「うぉん!」
と即座に反応。
そして、かまってくれとドアをガシガシたたいてアピールし始めます。
どうも、横の小部屋で耳ざとく自分の名前が話題に上るのを聞いておるようす。
ですからその後は「ジョイ」という名前でなく、
「太郎」という別名で呼んでいたのですが、
いつのまにか、それにも反応し出したので、
結局名前は使わず、「あの子」、「あいつ」、「ビーグル」「耳の大きな子」という言葉を隠語の様に用いました。
(=^^=)ゞ
そうそう、この頃になると体重も26キロほどになり、
その話をジョイを見たことがない人にすると、
「ビーグルでその体重は太らせすぎ。もっと痩せさせないとかわいそう!」
とよく言われましたが、
実はジョイはむしろやせ形で、それでもそれくらいの重さになる大柄なビーグルだったのです。
でも、そう説明しても、自称犬に詳しい人ほど、
「いくら大柄でもビーグルは14キロどまりだ!」
と信じてもらえず苦労しました。
実際はこんな感じで、黒ラブと並んでもほぼそん色ないほどの大きさだったのですよ。
ペロんしているのは、仲の良かったロッキー君。
あの子もラブの中でも大型の子でした。
「うへへ♪まだままだつづくよ♪」
~シニア時代へつづく~
前述のようにプーさんにこそ従いますが、
何もかもがパワフルで、男の私はまだしも、
女性の奥さんでは手に余るほど!
「だめじゃないの!」
「は~い。」
だから悪い時はケージに閉じ込めたりするのですが、
「うひゃ!捕まっちまったぜ!」
「でも、そんなの関係ねェ~♪」
と全く反省の色を見せません。
そこで、奥さんは信頼できる犬の調教師さんを探し、
結果「帝塚山ショードッグ&しつけスクール」の欽司先生のもとで
ジョイは週に3回お勉強することとなりました。
この効果はてきめんで、ジョイは日増しにお利口になり、
そしてまた、いろいろなことを覚えるのが嬉しいのか、
顔つきもどんどんキリっと凛々しく変わっていきました。
またこのお勉強はジョイだけにとどまらず、
犬を飼う私たちの側の勉強でもあり、
いろいろと大切なことを先生から学ばせていただきました。
ただ一緒に楽しく遊ぶだけでなく、あの子たちの生活、生き方を尊重し、
そのために私たちの側ができること、しなければいけないこと、
そして、それら全般についていかに責任があり、それをしっかり持てるかを常に考えるということ。
ですので、ある意味ジョイのおかげで、今の私たちの考え方などがあるともいえますし、
実生活面においても、先生の勧めで、プーさんはドッグショーに出場し受賞したり、
また、出産し、ぽちとかりんが誕生したりすることとなったので、
のちの我が家の生活に大きな影響を与えることにもなりました。
(まさに今の生活はジョイがいたからこそ。)
そんなわけで、飼い主の私も、ジョイをいかにして満足させ、
そしてお互いにストレスなくのびのび過ごせるか、
そんなことを考えながら散歩などをするようになりました。
朝は早起きし公園まで走っていき、そこでボール遊びや、水遊び。
日中は店番の合間に、公園まで自転車でダッシュし、
そこで滑り台やうんてい、タイヤ跳び。
夜は夜で、ボール遊びや、タオルの引っ張りっこ。
大体一度の散歩で2キロは走らせるから、一日最低6キロは走り回っておりました。
また休日は「スペシャル」と題して、往復8キロの散歩コースもとても喜び走っておりました。
思えばこのころのこれらの運動が、
ジョイの体を頑丈に作り上げてくれたので、
後々病気になったり、寝たきりになることなく、
安らかに旅立てたんだと思っています。
またジョイの両親や兄弟たちも、幸い近所にいたものだから、
毎朝公園に集合しては、大きな声を出しながら一緒に走り回ることができ、
毎日本当に楽しく過ごしておりました。
無論遠く離れた地へもらわれていた妹たちもいたのですが、
そちらからは定期的に写真を添えたお手紙が届き、
生家のMさんが定期的にそれらとみんなの写真を一枚のカラーコピーにまとめ、
私たちに配布してくださったので、
それがまるでジョイ家の新聞のようですごく楽しみでした。
さて、このころになると、もう以前のわんぱく坊主は収まり、
家の中でも悪さをすることはほとんどなくなり、
家族に対してはもちろんですが、表で出会う人やほかの犬たちに対しても、
まず吠えることなくフレンドリーな態度で接するとても穏やかな優しい子になっていました。
これが、この子の本来の性格だったんですね。
だから、どこに連れ出しても、
万が一小さな子がふいに寄って来て触っても、
安心して見ていられる、そういうジョイなのでありました。
だからかな?
その後年をとってもほかのわんこ達からモテモテで、
あちこちで待ち伏せされたり、つけまわされたりと大人気でした。
(「モテモテのジョイ」参照)
でも、拾い食いと盗み食いの癖だけは収まらず、
時には、サツマイモ一袋をケージの柵越しに引きずり込み
全部食べてしまったこともありました。
そんなんジョイですからその後 ぽちや かりんが生まれても、
いじわるするどころか、
「ぷーねえさんが増えた?」
とややビビり気味。
だから ぽち&かりんなどはジョイを舐めきり、二匹がかりで追い立てる追い立てる!
そういうわけで、それまでの様に自宅で私と遊ぶと、
反対に、子犬たちに焼きもちを焼かれ総攻撃に遭うために、
私とジョイは家で遊ぶ時は、もっぱら店の二階の空き部屋で、
タオルの引っ張り合いなどをして遊び、
その後、おやつのジャーキーを一枚食べてから階段を下り、
自分の寝床でくつろぐようになってました。
だからジョイは店の二階が大好きで、
足腰が弱り階段の上り下りができなくなってからも、
私がふと階下を覗くと、そこでじっと上を見上げておりました。
そう言えば、去年の終わりだったか今年の初め頃だったか…
私が二階でジョイのシーツや衣類を洗濯していたら、
もう階段を自力で登れないと思っていたジョイが、
テケテケと登ってきて、私の後ろでしっぽを振っていたのを見て、
ものすごく驚いたことがありました。
でもその時はもうタオルを差し出しても遊びたがらず、
おやつをねだっていたので、抱きかかえ階段を下り、
いつもの場所でおやつを与えました。
そういう優しい性格と、おおらかさもあり、
ジョイはご近所でも顔なじみがどんどん増えていきました。
「プチプチで梱包されてもおおらか~♪」
(「お包みいたします」参照)
しかし大きくなっても甘えたさんで、
例えば店番している際、うっかり店内で「ジョイ」と名前を出そうものなら、
「うぉん!」
と即座に反応。
そして、かまってくれとドアをガシガシたたいてアピールし始めます。
どうも、横の小部屋で耳ざとく自分の名前が話題に上るのを聞いておるようす。
ですからその後は「ジョイ」という名前でなく、
「太郎」という別名で呼んでいたのですが、
いつのまにか、それにも反応し出したので、
結局名前は使わず、「あの子」、「あいつ」、「ビーグル」「耳の大きな子」という言葉を隠語の様に用いました。
(=^^=)ゞ
そうそう、この頃になると体重も26キロほどになり、
その話をジョイを見たことがない人にすると、
「ビーグルでその体重は太らせすぎ。もっと痩せさせないとかわいそう!」
とよく言われましたが、
実はジョイはむしろやせ形で、それでもそれくらいの重さになる大柄なビーグルだったのです。
でも、そう説明しても、自称犬に詳しい人ほど、
「いくら大柄でもビーグルは14キロどまりだ!」
と信じてもらえず苦労しました。
実際はこんな感じで、黒ラブと並んでもほぼそん色ないほどの大きさだったのですよ。
ペロんしているのは、仲の良かったロッキー君。
あの子もラブの中でも大型の子でした。
「うへへ♪まだままだつづくよ♪」
~シニア時代へつづく~
最期まで十分なお世話をしてもらってジョイ君は幸せだったと思います。現在は痛みにも痒みにも解放されている事でしょうね。本当に16年は長くて短いですね。
最期まで幸せそうに返事をするジョイくんの尻尾が目にうかびます。
お別れはそれぞれですし、たくさん飼っていても、寄せてくる寂しさにいつもかわりはありませんね。
思い出の記録を読ませていただき、私もそれぞれの子たちのことを思いだしています。
エステルのことを話すとき、名前をだすとすぐに反応するので、「茶色の子」とか「大きい子」とか言ってます。
ジョイくんのお話と重なりました。
本当に安らかな最後で、こちらに心残りも負担もかけず、
最後の最後まで孝行息子の良い子でした。
だからもう、辛さはあまりないのですが、
ふと、何かがきっかけで無性に寂しくてたまらなくなってしまいます。
もしかしたら、ジョイもそう感じている時なのかなとか思ったりしまいます。
そちらのシュナウザーちゃんはお元気ですか?
今の時期空気が乾燥するのでカイカイに悪さをするので心配ですね。
無論人も風邪などひきやすくなりますから、
そちらの皆さんもくれぐれも用心し、ぬくぬくとお過ごしくださいね。
ではいつもありがとうございます。
(*^人^*)
ジョイは最後までちゃんと尻尾で答えてくれていました。
私たちはその様子を見て、
「こんなにしんどくてもしっぽが動くなんて…」
と感心し、驚いてしまったほどです。
思えば、あれはあの子からのお別れのプレゼントだったのですね。
(*^人^*)
さて、そちらも同じ!
まさかエステルちゃんもそう呼ばれていたとはびっくりするやら嬉しいやら、
そしておかしいやら!
もしかしたら、こういうのって、わんこのいるおうちでは定番なのでしょうか?
(=^^=)ゞ