私は常々口にしているように、「神」や「死後の世界」、
「運命」、「生まれ変わり」などというたぐいを信じていないので、
いわゆる「無神論者」ではあります。
ですが、定期的にお墓参りをし、その際は手を合わせ色々報告しますし、
寝室には、昨年逝ったジョイをはじめ、他の子たちの遺骨が入った骨壺を並べ、
たまにそれに話しかけたりはしております。
そう思うと、完全に無神論者ではないのかもとも思ってしまいます。
でもやはり、よくある生まれ変わりの話や死後の世界、
そういった類(たぐい)の話には、ついつい胡散(うさん)臭さを感じてしまうのです。
なぜだろう?
そこで、その「胡散臭さ」の原因をよく考えて抽出してみると、
それはどうも、その話の背後にある何とも言えない一本の道筋のような雰囲気。
もっと分かりやすくいうと、物語の背後からちらほらと見え隠れする話し手の思惑。
そういうものが、どうにもこうにも感じられてしまうので、
それがどうも胡散臭く感じられて仕方がない。
実は私たちが見たり聞いたりしていることや、
そう体験したと記憶している事柄など、そういったすべてのものは、
脳内でそう感じているだけに過ぎないことなので、
実際に見たか聞いたか、はたまた体験したかどうかは、
本人の確固たる自覚があるといえども、それが本当かどうかは怪しいのです。
実際に子供の頃の記憶が実は全く他人の経験によるもので、
それを見聞きしているうちに、自分の体験だと思い込み、
記憶を完全に上書きしてしまうことも、稀ではなく非常によくあるケースなのです。
そしてその上書きされた記憶には、色、臭い、痛み、そういった感覚による記憶も、
すべて完全にはっきりと残っていることもまたよくあること。
だから本人にとっては、疑いようのない事実であり体験であるだけに、
第三者からそのような事実がなかったことを指摘されるまで全く気づけないのです。
いわゆる思い込みというやつですね。
ですが、その体験がすごく私的で他者の関与がなかったものであれば、
その思い込みは、完全に事実になってしまうのです。
少なくとも本人にとっては。
だから、その「思い込み」の体験が一般的なものであれば、
本人も、聞き手も全く違和感も疑問ももたないので問題はないのですが、
ちょっと変わったものであれば、
「え?それ本当?」
と、突っ込まれてしまう。
でも、前述のように本人にとっては事実以外の何物でもないから、
嘘をついている気など全くなく、
「本当のこと!」
と胸を張ってこたえるしかない。
実は、この記憶の上書きは、ある意味一種の自己暗示のようなものでもあるので、
最初は自分でも嘘だとわかっていても、いつの間にか自分でそれを信じ込んでしまい、
やがて完全に記憶を上書きしてしまい、そう思い込んで疑わなくなるというのもよくあるケース。
さらにいうなら、被害者と加害者という全く相反する立場、
そういうものの記憶すら入れ替わることもよく知られています。
たとえば、
「子供の頃、友人に鉛筆で刺され、後日相手が親とともに病院へ見舞に来た。」
この記憶が全くの正反対で、
「友人を過て鉛筆で刺してしまい、後日親に連れられ謝罪と見舞いに行った。」
ことが本当だった話などよくあるのです。
この場合などは、自分で自分に嘘をついたつもりすらなく、
恐らくは、そのしでかしたことの大きさに耐え切れず、
無意識に記憶の改ざんをしてしまったというのが正解なんでしょう。
そのようなことから、
私は、どう考えてもおかしい話。
理屈にあわないない不思議な話。
そのような話はまず信じません。
それが、「本人が体験した」と嘘つく様子も無くいったとしても。
でもね…
でも心霊写真や怖い話は人一倍好きで、
見たり読んだりしては、
その都度震えて眠っておるのです。
(=^^=)ゞ
「運命」、「生まれ変わり」などというたぐいを信じていないので、
いわゆる「無神論者」ではあります。
ですが、定期的にお墓参りをし、その際は手を合わせ色々報告しますし、
寝室には、昨年逝ったジョイをはじめ、他の子たちの遺骨が入った骨壺を並べ、
たまにそれに話しかけたりはしております。
そう思うと、完全に無神論者ではないのかもとも思ってしまいます。
でもやはり、よくある生まれ変わりの話や死後の世界、
そういった類(たぐい)の話には、ついつい胡散(うさん)臭さを感じてしまうのです。
なぜだろう?
そこで、その「胡散臭さ」の原因をよく考えて抽出してみると、
それはどうも、その話の背後にある何とも言えない一本の道筋のような雰囲気。
もっと分かりやすくいうと、物語の背後からちらほらと見え隠れする話し手の思惑。
そういうものが、どうにもこうにも感じられてしまうので、
それがどうも胡散臭く感じられて仕方がない。
実は私たちが見たり聞いたりしていることや、
そう体験したと記憶している事柄など、そういったすべてのものは、
脳内でそう感じているだけに過ぎないことなので、
実際に見たか聞いたか、はたまた体験したかどうかは、
本人の確固たる自覚があるといえども、それが本当かどうかは怪しいのです。
実際に子供の頃の記憶が実は全く他人の経験によるもので、
それを見聞きしているうちに、自分の体験だと思い込み、
記憶を完全に上書きしてしまうことも、稀ではなく非常によくあるケースなのです。
そしてその上書きされた記憶には、色、臭い、痛み、そういった感覚による記憶も、
すべて完全にはっきりと残っていることもまたよくあること。
だから本人にとっては、疑いようのない事実であり体験であるだけに、
第三者からそのような事実がなかったことを指摘されるまで全く気づけないのです。
いわゆる思い込みというやつですね。
ですが、その体験がすごく私的で他者の関与がなかったものであれば、
その思い込みは、完全に事実になってしまうのです。
少なくとも本人にとっては。
だから、その「思い込み」の体験が一般的なものであれば、
本人も、聞き手も全く違和感も疑問ももたないので問題はないのですが、
ちょっと変わったものであれば、
「え?それ本当?」
と、突っ込まれてしまう。
でも、前述のように本人にとっては事実以外の何物でもないから、
嘘をついている気など全くなく、
「本当のこと!」
と胸を張ってこたえるしかない。
実は、この記憶の上書きは、ある意味一種の自己暗示のようなものでもあるので、
最初は自分でも嘘だとわかっていても、いつの間にか自分でそれを信じ込んでしまい、
やがて完全に記憶を上書きしてしまい、そう思い込んで疑わなくなるというのもよくあるケース。
さらにいうなら、被害者と加害者という全く相反する立場、
そういうものの記憶すら入れ替わることもよく知られています。
たとえば、
「子供の頃、友人に鉛筆で刺され、後日相手が親とともに病院へ見舞に来た。」
この記憶が全くの正反対で、
「友人を過て鉛筆で刺してしまい、後日親に連れられ謝罪と見舞いに行った。」
ことが本当だった話などよくあるのです。
この場合などは、自分で自分に嘘をついたつもりすらなく、
恐らくは、そのしでかしたことの大きさに耐え切れず、
無意識に記憶の改ざんをしてしまったというのが正解なんでしょう。
そのようなことから、
私は、どう考えてもおかしい話。
理屈にあわないない不思議な話。
そのような話はまず信じません。
それが、「本人が体験した」と嘘つく様子も無くいったとしても。
でもね…
でも心霊写真や怖い話は人一倍好きで、
見たり読んだりしては、
その都度震えて眠っておるのです。
(=^^=)ゞ