ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

楽園

2006年12月19日 | Weblog
藤原組長似のすし屋の親父さんは、仕事を引退したら
宮古島に移住、或いは別宅を持って暮らそうという計
画を立てている。
羨ましい限りの話だ。
最近この手の、リタイヤして海外移住とか、田舎暮ら
しとか、かなり聞くようになった。
今リタイヤするくらいの人間が、最後の年金暮らしが
可能な年代であるということは置いといて、果たして
イメージどおりの生活が送れるかというと、現実はそ
う上手くはいってないようである。
テレビでは、主に成功例を取り上げるので良い風に見え
るが、特に海外などは、半分以上が一年以内に戻って
くるという。

その大きな理由は、現地に溶け込めないというもの。
田舎にしろ、海外にしろ、基本的に現地の文化に違和
感を持ち続ける限り溶け込むことは出来ない。
普段の生活において、普通に現地の人とコミュニケー
ションが取れない場合、町にいても隔離されたような
孤独感を味わうのが関の山。
完全に人里離れた場所を求めるなら問題ないが、そう
でない場合は、異文化を楽しむという心構えが絶対条
件になるのではないだろうか。
あと、食べ物。
これも積極性が無いと駄目だろう。
保守的な味覚の人は、新しい味にチャレンジすること
もないので、その点だけでも異文化での楽しみがなく
なるということになる。
それと、田舎の場合は、その地の風習慣習が重要にな
る。
面倒くさい付き合いとか苦手の人は、別荘開発地のよ
うな一画を除いて、周りに家のあるような村町だった
ら絶対駄目だろう。
これこそが、コミュニケーションが重要だという、最
たる例なのだ。

「海しかない何にもないところでのんびり、最高だね」
(藤原組長似の親父さん、以後藤)
「眠くなったらぐだぐだ、本を読みたくなったら読書、
良いですねえ」(私)
「何もないというのがいいんだよね」(藤)
「でも、競輪場もないですよ」(私)
「何も島まで来て、競輪はないよ」(藤)

  三十年のキャリアの競輪を、そう簡単に忘れられる
  とは思ってないが、それより、親父さんが本当に何
  もないところに耐えられるかどうかの方が問題だ。

「皆そう言うけど、実際海だけで良いというのは三日間
だけで、その後することが無く一気に退屈になってしま
うらしいですよ、殆どは」(私)
「俺はそういうことないよ」(藤)

  相当自信があるようだが、最初は皆そう言う(繰り
  返すが)。

「兎に角、一度経験してみないと」(私)
「そう思って、来年一週間ほど行くことになってるよ」(藤)
「移動したり観光名所見物とかしないで、滞在のみで
ね」(私)

果たして、親父さんは適応できるだろうか。
もし上手くいったら、行く行くはゲストルームでも作
ってもらってこちらに利用させてね、と調子の良いこ
とを考えているのだ。
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