ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

硫黄島からの手紙

2006年12月17日 | 映画


以前は、イオウトウと発音していて、今回の映画が広
まりだしてからイオウジマと発音するようになり、昔
はイオウトウだったという情報を得てからまたまたイ
オウトウと発音するようになり、生き残った兵士の談
話は矢張りイオウトウだったので、確信を持ってイオ
ウトウと言うようになったところ、窓口でイオウトウ
一枚と言った時、一瞬間があったことを確かに確認し
て一般的には間違いなくイオウジマなんんだと思い、
とうとう「硫黄島からの手紙」を観ることになった。

映画は、二宮君(と言いたくなる雰囲気なので)演じ
る、一兵士を中心にほぼ展開する。
日本兵というと必ず出てくる、軍国主義の固まりのよ
うな理不尽な上官も、そして対照的な知的で穏やかな
中心人物の一人、栗林中将、その中将を慕うバロン西
と、いい具合に配置し、戦闘場面は抑え目である。
そして、意外に洞窟の中の悲惨な状況というものもあ
まり強調されてない。
手榴弾で自爆する場面ぐらいかそういうのは。
つまり、戦争の悲惨さをことさら主張したいわけでは
ないのだろう。
むしろ印象としては、戦争という状況にしては洞窟の
中が長閑に感じるくらいだ。
そこでの人間ドラマが、洞窟1から洞窟2そして洞窟
3というように、まるで章が変わると場面が変わるか
のように進んでいく。
そして、それぞれがいろんな方法で死んでいく。
そんな死に方を、一人見続ける二宮君の弱弱しいが優
しさのある眼。
しかし、冷静に見つめるまなざし。
これこそがこの映画の重要なポイントではないか、と
思える。
イーストウッドが彼を抜擢したのは、この眼ゆえだと
確信した。
そして、今ひとつ軍国主義に陶酔できなく(根本的な
不信を持っている)やる気のない彼が(しかし人間的)、
唯一自分の意思で戦おうと思ったのが、中将に対する
冒涜を感じたときだけというのも、映画のテーマとか
探るとしたらキーポイントにはなりそうだ。
いろんな解釈が成立ちそうである。

それにしても、色のない世界だ。
「父親たちの星条旗」ではそれが不気味さにつながっ
たが、今回のは不気味さではなくそれこそ何もないと
いった印象である。
奥行きを感じないフラットな世界。
そこで生起する生と死のドラマ、という枠で捉えられ
るようなものでもないし、そういうまとめというのに
収まらないのがイーストウッドの魅力なのだから、ま
とめようなどと考えない方が良さそうだ。
ただ、今回会話が日本語であるということで、イース
トウッド特有の会話のリズム、言葉の音がちょっと違
うかなと感じた。
これによって全体の印象は大きく変わった。
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