『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』**三月の東京大空襲を季語にする(斑猫独語72)**<2017.3.&5. Vol.97>

2017年06月08日 | 斑猫独語

三月の東京大空襲を季語にする(斑猫独語72)

澤山輝彦

 NHKも時々良い番組を流すことがある。常日頃は重大な問題を内包する政策にも批判なく、ただ流すとい所が多いからこういう言わざるをえないのだ。その良い番組とは、去る3月9日、NHKBSプレミアムで放送されたドキュメンタリー番組『昭和の選択 東京大空襲が生んだ悲劇の傑作 書家・井上有一 噫(ああ)横川国民学校』だった。

 東京市本所区横川国民学校教員であった井上有一が、学童疎開先から東京の学校へ卒業式のためつれ帰ってきて、自分も生徒も3月の東京大空襲に会い、自分は何とか生きたが、連れ帰った生徒の何人かが死ぬ。井上有一は後、高名な書家になるが、東京大空襲であった悲惨な体験を、なぐり書くように記したものが「噫横川国民学校」という作品になる。放送は二人か三人だったか、コメンテーターが、この作品と当時の映像記録などを見ながら、疎開というものが当時どんなものであったかを語るものであった。児童生徒は疎開してよし、大人の疎開はまかりならぬ、町に残って防火にはげむ、これは法制化されたものであった。

 このあたりの語りを聞いていて、私は亡き母の言葉を思い出した。それはもう戦後の笑い話になっていたのだが、「防火(防空だったかもしれない)演習の時に、警防団長の○○さんに、そんなへっぴり腰で火が消せるか、と言って腰蹴られたわ。」と。当時の母にとっては、とても笑ってはいられない事だったのだろう。この警防団長の○○さんが、「空襲警報解除、空襲警報解除」とメガホンで触れ歩いていた記憶を私はかすかに持っている。

 そういえば、NHKの放送で「刑事フオィル」というイギリスのミステリーを放送したのも、良い番組を流したうちに入れよう。もう終わったのかどうか知らないが、私はこれを有線放送で始めて観てから、機会があるかぎり観続けた。「刑事フオィル」の元のタイトルは「フオィルの戦争」だ。第二次世界大戦下(戦後もある)に起こる犯罪を、フオィル(平刑事ではない警部ではないか)が解決する警察ドラマなのだが、犯罪原因に戦場の不条理、戦争が生む人間性の破壊が潜んでいることを指摘する、こんなところは一種の反戦ドラマでもある、と私は理解するのだ。こういうドラマを作るイギリスはなかなかのものだ。だからこれを放映するNHKも、ここだけはまあまあだと思うが、甘いかな。

最近、さる場でこんな二句を発表した。

右向け右 パン屋むっつり 里桜
さくらんぼ 「はてな」の果ての 右傾かな

 今日(2017/4/9)の朝刊に、銃剣道あえて明記、中学新学習指導要領。こんな見出しがあった。ええかげんにせえよ、いったいどうなってんだ。又熱がぶりかえしそうだ。きなくさい、というどころの話ではない。いつまでも思いのままに右へ右へところがり、気がつけばそこは黄泉比良坂(※注)、黄泉の国の入口、なんて真っ平ごめんである。

※注 黄泉比良坂(よもつひらさか)は、人の居る現世と死者の住む黄泉(よみ)の境にある坂とされている。『古事記』などに記述があり、神話ではあるが、島根県松江市東出雲町に石碑などが建立されている。≪編集子≫

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