パレスチナ、ガザの何が問題なのか?(中編)
田中 廉
1.イスラエル建国
イスラエル建国には二つの要因があります。
① 第一次大戦後、イギリスが委任統治を開始したパレスチナへのユダヤ人の移住が進んだことです。
パレスチナのユダヤ人の人口はヒットラ-が政権を握る(1931年)前年の1930年は17万人(パレスチナ人口の16%)でしたが、ナチによる迫害からパレスチナに移住する人が増え1945年には59万人(同31%)と3.5倍に増えました。この間アラブ人の増加が1.5倍ですので、異常なスピ-ドでユダヤ人が増えて来たことがわかります。しかし、ユダヤ人の移住が順調に移行したわけではありません。
イギリスはパレスチナ人の反乱などで、自分たちの石油の権益が脅かされるようになると、1939年5月、急遽シオニズム支援策を中止。ユダヤ人の新移民入国と、ユダヤ人の土地購入を禁止する決定(「マクドナルド白書」)を下し、アラブ大反乱の終息と大戦中の反英運動の激化回避策を講じました。「ユダヤ人民族国家」建設運動へのイギリスの支援を突如失ったシオニズムの側は、イギリスに対して暴力テロ活動を強めてゆきます。1946年6月には過激シオニストは、イギリス軍の入居するホテルを爆破し、一般人を含む91名が死亡しました。イギリスを見切り、アメリカを頼り建国を画策します。
② 第2の要因はホロコ-ストを生きのび、ヨ-ロッパで行き場を亡くした25万人のユダヤ人難民対策です。
欧米にとっては非常に頭の痛い問題だったので、こちらの方が、より重要だったと思います。1945年に第二次世界大戦は終了しましたが、ヨーロッパでは600万人と言われるユダヤ人が虐殺されました。ホロコ-ストを生きのこったユダヤ人は25万人いましたが、元住んでいた家は他人に奪われ、ポーランドでは帰郷した村で集団虐殺されるなど、故郷に帰ることができませんでした。また、米国などへの移民も認められず、ドイツやドイツが占領していた東欧で難民となっていました。この25万人のユダヤ人難民対策が連合軍の大きな課題でした。
その解決策として、パレスチナにユダヤ人国家を創り、そちらに移住させることが画策されます。国連は特別委員会を設け、パレスチナ分割案についてアドホック委員会で検討させます。アドホック委員会は「分割案は国連憲章違反であり、国際法にも違反している可能性があるので、国際司法裁判所に諮るべきである。」、「分割案は、経済的にはユダヤ国家にはよいが、アラブ国家には持続不可能になる。」、「ヨーロッパのユダヤ人難民問題は関係当事国が可及的速やかに解決しなければならないが、それをホロコ-ストと何ら関係のないパレスチナ人に代償を支払わせる形で、パレスチナの地にユダヤ人の国を創って解決しようとするなどは、政治的に不正である。」と結論。特別委員会で可決され、総会にかけられます。
国連総会でユダヤ人国家が認められるには、欠席と棄権を除いた2/3以上の賛成が必要ですが、現住民(パレスチナ人)の同意もなく、その領土を奪って、他の民族が国を創るのは正当化できるはずもありません。反対する国が多く投票しても勝てる見込みがなかったことにより、当初の投票日はシオニストの妨害で3日間延期させ、その間にシオニストとアメリカは経済援助と脅迫を使い、強烈な多数派工作を行いました。
その結果、1947年11月に国連でアラブ側の反対にもかかわらず、「パレスチナを分割し、イスラエル国家を認める」ことが決議されます。人口で31%、土地所有率で6%のユダヤ人に、57%の土地を与えるという不当なものでした。1948年(第一次中東戦争)から1973年(第4次中東戦争)まで、アラブ側とイスラエルの戦争が起こります。いずれもイスラエルが勝利、または負けることがなく、イスラエルはパレスチナ自治領を侵食するだけでなく、シリアの一部などを占領し領土を拡大させてゆきます。
イスラエル国家成立については、2つの大きな問題があります。まず、ユダヤ人差別、迫害、虐殺などは主としてヨ-ロッパで生じたことなのに、その解決策として自分たちが植民地としていた、つまり自分たちに痛みのない場所に、何代にもわたって住んでいた住民の同意や生活を無視し、ユダヤ人国家を創り解決を図ろうとしたことです。本来であれば、もともとユダヤ人たちが望んだように、自国に住むユダヤ人の文化、人格を自国民と同等に尊重し協調して生活することです。それをせずに自分たちにとって厄介な難民化したユダヤ人を、パレスチナ住民の意思を無視して送り込むことにしたのです。それは身勝手な行いであり、そこに正当性はありません。
第二番目は、一歩譲ってユダヤ国家を認めるとしても、ユダヤ人はもともとそこに住んでいたパレスチナ人と対等な関係で共存を図るべきです。イスラエルの「土地なき民に、民なき土地を」のスロ-ガンで、自分たちの行動を正当化しようとしていますが、それは事実を捻じ曲げています。
旧約聖書で「乳と蜜の流れる地」と書かれているパレスチナは、古代より農業がおこなわれていました。イスラエルではすべての土地・場所に関する名称から、アラビア語を廃止しヘブライ語に変え、子どもたちに自分たちは無人の荒野を開発し緑地にしたが、アラブ人たちはその繁栄を見て、後から来たのだと教え込もうとしています。(2011年に私がパレスチナ西岸自治区を訪問した時に、市販されているすべての地図から、アラブの町や村の名前は消されていました。)また、ユダヤ人は相場の何倍もの価格で土地を買ったのだと主張しますが、アラブ側から見ると異なります。以下は「世界史研究所」の説明です。
「高等弁務官は、委任統治政府が『第一次世界大戦で村々は破壊され、国内は貧しさと閉塞の空気に満ちている。』と指摘しながら、何の打開策も講じなかった。疲弊したアラブ農民の負担能力を超えた苛酷な税を課し、その一方で安い価格の穀物を大量に輸入して国内作物の価格暴落を招いた上に、作物の海外輸出を禁止した。行き詰まった農民は納税のため土地を売るしかなく、ユダヤ人は土地を安値で手に入れた。また政府は旧オスマン帝国銀行の債務取り立てを引継ぎ、農民に厳しく返済を迫り、その結果多くの土地が没収された……。アラブ住民は、委任統治政府の不当な政策により、生活の糧を奪われる危険に陥ったことを痛感している。」(Al-Huseinī,Jamāl, Radd al-Lajnati al-Tanfīdhīyah alā Mulāhazāti al-Mandūbi. 1924、140)。
2.パレスチナ難民は何故生じたのか?
パレスチナ難民はイスラエルにより意図的に作られたものです。
シオニストはイスラエル建国前から、将来のイスラエル国家でユダヤ人が安定的に暮らすためには、自国領土内のパレスチナ人の比率を下げる必要があると考えていました。イスラエルの初代首相となったベングリオンは、「たとえユダヤ国家ができたとしても、ユダヤ人の人口が60%程度では、安定的かつ強力なユダヤ国家にはならない。」と発言します。
国連によるパレスチナ分割を決議した1947年11月から、イスラエル建国宣言を挟んだ1949年初頭まで、民兵組織を使い多数の集団虐殺を行います。その一例が、1948年4月(イスラエル建国宣言の1ケ月前)のディル・ヤシーンの虐殺です。エルサレム郊外のパレスチナ人集落(ディル・ヤシーン)がイスラエルの民兵に襲われ、100名余りの村民が暴行・レイプ後に虐殺されます。普通はこのような虐殺は隠すものですが、虐殺の首謀者であるイスラエルの民兵組織は記者会見を行い、犠牲者数を200名以上と倍増し発表します。(この事件の民兵組織の指導者が、のちにイスラエル首相となるベギンです。)
その結果、パレスチナ人はパニックを起こし、着の身着のままでパレスチナ領や国外に避難しました。(これをナクバと呼びます)イスラエルは国境を閉ざし難民を締めだし、帰国しようとする者は容赦なく射殺しました。その結果イスラエル領内のパレスチナ人比率は40%から20%と下がりました。200以上の村が破壊され、70万人が難民となりました。
国連総会は1948年12月に「故郷に帰還を希望する難民は可能な限り速やかに帰還を許す。そう望まない難民には損失に対する補償を行う。」、1974年には「追放された郷里に帰還し奪われた財産を取り戻すパレスチナ人の不可侵の権利を再確認し、帰還を要請する。」との決議を行いますが、イスラエルは拒否したままです。イスラエルは1948年に80万人のユダヤ人がアラブ国から追放され、人口交換があったのだから、この問題は解決済みだと主張しますが、まったくもっておかしな論理です。アラブ諸国からユダヤ人を追放したのはアラブ諸国であって、パレスチナ人が行ったことではありません。これはアラブ諸国とイスラエルの間の問題であってパレスチナ人が決めたことではありません。
3.ガザとは
16年の長きにわたり、「天井の無い監獄」と言われ、福岡市とほぼ同じ面積のところに約230万人(福岡市は約160万人)が住んでいます。食糧、燃料、日用品、医薬品などすべての物資の出入りはイスラエルの管理下に置かれ、その出入をイスラエルが恣意的に制限。かつてヨーロッパに輸出していたオレンジ・イチゴ・花などの生産はほぼ壊滅し、経済は疲弊しています。地下水脈の上部でイスラエルが水を大量に汲み上げるので、井戸水は海水が混ざり、飲料水はイスラエルから輸入せざるを得ない状態で、電気の80%はイスラエルに依存しています。かつて日本の援助で作られた空港も、イスラエルによって破壊され長期に渡り使用不能です。若者の失業率は約67%で、将来に絶望し宗教上の理由から、今までほとんど行われなかった自殺が増えているといわれています。これらのイスラエルの行為は、国際法で禁じられている「集団懲罰」であると、国連や人権団体から強い批判を受けていますが、イスラエル政府には馬の耳に念仏の状態です。
長くなったので、今回はここまでにします。
(ガザの現状、イスラエルの情報操作、イスラエルの狙い、私たちに何ができるのかなどは次回掲載予定)
【投稿日 2024.5.19.】