『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』**赤い夕陽⑱**<2017.3.&5. Vol.97>

2017年06月07日 | 赤い夕陽

赤い夕陽⑱

三橋雅子

<寺子屋>

 中共軍と共産軍の市街戦が終わり、どっちの政権になったかも、訳が分からないまま。我が家の民間ソ連夫婦が慌ただしく引き揚げて行ったことから、ソ連が完全に撤退した事だけが確からしかった。次は何が起こるのか?

 不要な心配をしても仕方ない、と父は思ったのか、寺子屋の算段をし始めた。近所に空き家になっていた教会があり、黒板、椅子、机が一応揃っているから、と父が元先生をどこからか探してきて、そこで、寺子屋もどきが始まった。低学年と高学年、中学生くらいの大雑把なグループで、2部制の授業が始まった。学校嫌いの私も、こういう破格の学校は面白くて休まなかった。しかし先生が無事にたどり着くことの方が難しかった。途中で「使役」に掴まって、何時間か鋸引きをやらされたり………。というような事情で、息を切らせて、すまんすまん、と駆け込んでくるのだった。それはまだましで、とうとう先生が辿り着かないこともあった。

 教科書もノートもないから、算数などは先生が問題を黒板に書いて、皆で所狭しと計算した。また、先生は「嘘をつくことは悪いことか?」というような問題を出す。みんながウーンと考えていると、例えば今日、先生は使役に掴まって、おなかが痛くて病院に行くところだから、と嘘をつき、ヘタコラヘタコラ満足に鋸を引けない振りをして「この役立たず!」と解放され、やっとここへやってきたんだが………、という風に。また、遅れに遅れた挙句、頭に包帯を巻いて血が少し滲んでいることもあった。「脱走に失敗してね」、と先生はきまり悪そうに言って笑ったが、痛ましかった。

 ある時「人はパンのみにて生きるに非ず、というが、他に何が要るのか?」という問いに「はーい、肉が要ります」と誰かが答え、先生は少し困ってしまった。家に帰って話すと、大人たちは「うまい答えだ」なんて大笑いするだけで、何のことやら分からず仕舞いだった。

 そのことを突然閃いたように思い出したのは、引き揚げて来て、東京目黒の家で泥のように眠りこけた後、目が覚めたら、復員していた兄が買ってきてくれたのか、『ああ、無情!』(ヴィクトル・ユーゴー作『レ・ミゼラブル』の少年版)が枕元にあった。「ああ、本いうものがあったのか!」という思いで、開いて読みだしたら止まらない。中味への興奮なのか、読んでいる事への感動なのか、訳が分からず涙がポタポタ落ちて、当時の本は辛うじて紙の体裁を保っている代物だったから、涙で破れてしまうのでは? とひどく心配になったのを覚えている。その時、何とか食べ物らしいものにありついて、何日ぶりかの畳に足を伸ばして寝て、………その挙句にガツガツとまるで食べ物らしい食べ物に飢えていたのと全く同じように、歯の音を立てるかのように、活字にかぶりついたのである。あの寺子屋でも本は一冊もなかった。そして、幸せを感じた。この嬉しさ!おなかがいっぱいになりさえすれば幸せになるのではない、と納得したのだった。

 義務教育中一番楽しかったこの学校も、間もなく我が家の事情で行けなくなったので、何時まで続いたのかは分からない。

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